okatake2016-12-26

某所に出した請求書に不備があると言われ、速達にて再送。まったく、なんでこんな簡単なことができないのか。事務仕事をしている人には、信じられないだろうが、そうなのだ。どこかで、ああイヤだイヤだと思いながらやるので、ぞんざいになる。各媒体から大挙して舞い込んだマイナンバー登録のときもそうだった。逆さ吊りにされて、口に筆をくわえて、書を書くような気持ちになるのだ。なんとか仕上げて、「くそっ、くそっ」と自分をののりしながら、自転車で近くのポストまで投函しに行く。
ちょうど届いて(いただいて)読んでいた平田俊子さんの新刊エッセイ集『低反発枕草子』(秀逸なタイトル!/幻戯書房)に男の大学生と居酒屋で日本酒を飲んだとき、大学生がお銚子で猪口に注いでくれたが、うまくいかずテーブルにこぼしたという話が出てくる。二度目もうまくいかず、聞くと、友だちともお銚子でお酒を差しつ差されつのやりとりすることがないという。たしかにそうかも。平田さんは、たったそれだけの体験から、「赤ん坊の時は、泣くこと以外、何にもできない」。やがていろんなことを覚えて大人になっていくのだ、と書く。そしてこんなふうに締めくくる。
「大人になると何でもできるかというとそんなことはなくて、努力してもできないことはたくさんある。それがわかるのが大人になるということかもしれない」
平田さん、ありがとう。しかし、請求書を書くのは「努力してもできない」ことには入っていないか。失礼しました。
関口知宏、ヨーロッパ鉄道旅で、関口がいつものように靴を脱ぎ、座席であぐらをかいて座ると、通路を隔てた席の外国人男性が、「ヨガをやっているのか?」と尋ねる場面があった。「そうじゃない」と答えていたが、男性は「ぼくにはそんなことできないよ」と言っていた。そうなのか。「できること」「できないこと」を紙半分中央に線を引いて並べていったら、ぼくは圧倒的に「できないこと」の方が多い。あ、ぼくは「あぐらをかく」ことはできます。従弟のノブはあぐらをかけなかった。
そんな年の暮れであります。