気まぐれ古本さんぽ

新著『気まぐれ古本さんぽ』(工作舎)が、「朝日新聞」日曜読書欄で取り上げられました。うれしい。小さい扱いだが、かえって書名などすぐ目に入り、すぐ読めるので、効果的かも知れないと、ふだん短評を書いている身としてそう思った。本が出たとき、発表するあてなしに書きとめた本書に関するメモがあるので、ここに転記しておきます。サイン本は東京・西荻「盛林堂書店」「音羽館」、京都「善行堂」などに置かれております。あと、昨夜、20冊ほどサインを入れたので、各所で販売されると思います。カバーをめくったところの顔を描いています。今度のホン、例によって仕掛けがいくつかあって、カバーをはずしてもらうと、いろいろ見つかるようになっている。


『気まぐれ古本さんぽ』について
岡崎武志

「気まぐれ」とは、敬愛する洲之内徹の美術エッセイ「気まぐれ美術館」からの借用である。これから訪れる店へ事前に連絡を入れ、取材を依頼するという堅苦しい方法を取らず、思いついたとき、気ままに、素の客として古書店を観察したい、という気持ちがあった。もちろん、青梅多摩書房さんのように、ふだん店を開けていなくて、予約制で客を受け入れるというケースでは、ちゃんと取材をお願いした。
 しかし、おおむね「気まぐれ」という流儀を押し通したつもりである。
 ふだん、自分の書いたものを改めて読み直すという習慣がないため、今回は、休刊中の「彷書月刊」と、現在連載継続中の「古書通信」の二誌にまたがった八年分の連載を、ゲラのかたちで三度、本になってから一度読んだことになる。
 読んで気付いたのは、ここには古書店の紹介と、そこにいたる探訪の記録だけでなく、私についてのほとんどすべてが書き表されているということだ。ジャンルとしては紀行文、ということになろうが、過去の追憶があり、そのときどきに自分を支配する強い関心があり、本家の洲之内「気まぐれ」に倣った脱線また脱線がある。
 文章は、言葉による既定という側面があり、多くの制約に縛られるが、この連載では、なるべく自在に、筆力を試すように、決められた字数内で自分を泳がすように心掛けたつもりである。毎回うまく行ったとは自分の口からは言えないが、かなりの打率で、私は本書のなかで生き生きと楽しめている気がする。
 8年は、振り返ればあっというま、であったが、こうして毎月書かれた文章から言えば、それだけの実質をもった年月だったようだ。
 ある信頼する人から言われたが、これまで受賞歴も、はなばなしい話題作もなく、地道に原稿を積み重ねて、それがすでに30冊ほどの本になった。かえって、それは誇るべきことじゃないか、とそう言われ、そう思った。その集大成が『気まぐれ』だと言える。400ページ強の2段組みという大著だが、おもしろく読めるように、興味がつながって行く書き方がされているはずだ。そのことだけは自信があるんだ。 CD一枚分の価格となっている。近くの書店で手に入らない場合は、工作舎にお問い合わせください。

追記
一人の心得違いの者のために、当ブログを閉鎖したことで、思いがけず、それは本当に思いがけないほど多くの人からコトバをかけていただきました。本がたくさん売れることはもちろんうれしいが、そのことがひどくうれしかった。ぼくのようなものに、心を寄せてくださっている方々がこれだけいる、という事実に励まされました。いつも青空というわけにはいかないが、曇りの日、雨の日も楽しめる、そんなふうに日々を過ごして行きたい。雨の日を選んで、散歩にでかける、そんな心持ちでいたい。
毎週火曜、夜7時過ぎからコーナー出演している「オトパラ!」(ニッポン放送)で、その週に起きたこと、買った古本、いま関心があることについておしゃべりしているのですが、よく上柳アナに「オカザキさん、本当に、いつも楽しそうに生きてますねえ。うらやましいな」と言われます。そんなふうに自分のことを考えたことがなかったので(むしろ苦しみ、痛みが多い)、そんなふうに見られているとしたら、それに近付けて行こうと、このごろは思っています。