あれこれ締め切りが重なり四苦八苦。そんな合間に山田洋次「下町の太陽」(1963年松竹)を再観。倍賞が住む町の最寄り駅は「京成荒川」(現「八広」)駅。勝呂誉に追いかけられ、土手脇の階段を降りるシーンあり。京成線はまだ高架になっていない。土手の柵の鉄棒がすべてない。戦時中、供出されたままなのだろう。「麦秋」に同様のシーンあり。倍賞が通う石鹸工場は、資生堂。現在、曳舟にある「文化センター」がその跡地。
勝呂と一夜かぎりのデートを浅草でして、別れのシーン。都電停留所が映る。いい場面。都電には「荒川車庫前」とプレートがはまり、「27」の表示が。これは、いまも唯一残る「都電荒川線」なり(27は王子から赤羽へ)。ということは、三ノ輪橋の停留所か。すると、これに乗ると、行き先は倍賞の住む荒川沿いの町とは逆方向になる。浅草から歩いて国際通りを北上して三ノ輪橋へ行く、というのはわかるが、ここはリアリティより、絵として、二人の別れのシーンを三ノ輪橋停留所で撮ったということか。そういうことは映画ではよくある。あるサイトで知ったが、倍賞が「下町の太陽」を歌いながら、荒川土手を歩くシーンは、江北橋西詰だそうで、現実的には倍賞の住む町とは離れ過ぎておかしい。でも、映画としてはそれでいいんですね。ミュージカルみたいで、いいシーンだもの。
団地に住むのがあこがれ、というようなセリフが何度か出て来る。200倍の確率で当選した倍賞の友だちが住むのが「光が丘団地」。これは、現在の「光が丘」ではなく、1957年に竣工された千葉県柏市にかつてあった方の「光が丘団地」だろう。ここまでの記述、まったく間違っているかもしれない。大阪出身者の頼りない推測です。でも、調べるのはおもしろい。二人が乗る、花やしきのゴンドラは球形。いまは小さな家のかたちだ。