あれ、もう27日ですか。月曜日は忙しい。土日とさぼってしまったからなあ。
今週「サンデー毎日」、読書ページ、著者インタビューに山田宏一登場。インタビュアーはわれらが北條一浩くん。南陀楼くんと北條くんが加わって、サン毎の読書ページはレベルアップした、とぼくは深く、心の底から思っております。ウソだと思ったら今週号を。
北條くんの映画論や映画エッセイが一冊にまとまるといいのに。
「映画」といえば、池袋の秘境古本屋「ますく堂」さんが、映画は15分もたないので見れない、という人の話を紹介していた。しかし、たとえば黒澤明の「七人の侍」を、15分見たところで退屈してしまって、なんてことがありうるだろうか。もうその先は見ずに済むなんて、ことがあるだろうか。あるんだろうな、きっと。
まあ、そういう人は映画が向いていないんだし、ほかに楽しみがあるんだったらそれでいい。もったいないなあ、と思うけど。
ぼくには関係ないことだ。自分のことだけで精一杯だ。
今日は父の命日だった。うちの父は、ぼくが高二の夏(1973年)に42歳で死んでいる。本に書いたこともあるけど、一週間、高校の友人と三人でユースホステルを巡る旅をしていて、家に帰ってきたらお通夜だった。でかけるときは、まったく元気だったのだ。仕事上の事故だった。翌日は葬式。わけがわからぬまま、突然、家から父がいなくなった。それからいろんなことがあった。
ぼくにそんな過去が、影として残っていないとしたら、それは母が偉かったからだ。
ただ、父が死んだその日から、こんなに急に、思いがけなく若くして理不尽に人生が終わってしまうなら、人の一生、自分が大切にしている、好きなことをして生きていかなければならない、とずっとそう思ってきた。だって、明日、急に人生が終わってしまうかもしれないから。
好きなことを、いま仕事にしているぼくは、だから幸せだ。ときどき愚痴もこぼすけど、やりきれない思いもするけど、その一点で圧倒的に幸せだ。
岡山から大阪へ働きに出てきた父は、ずっと小説家になりたかったみたいで、やなぎごおりに習作の原稿がたくさん残されていた。「朝日」の「声」の投稿家でもあった。事情が許せば、朽ち果てても、文章を書いて生きていきたかったに決っている。だから、ぼくがこういう仕事をしていることを、いちばん喜んでくれているのは、たぶん父だろうと思う。
そのことを忘れずにおこうと思う。