okatake2012-02-01

「男の隠れ家」で天神橋筋商店街(および周辺)の古本屋取材で関西へ。京都「善行堂」で山本とひさしぶりに喋り、その夜は京都。翌日、大阪へ。6軒回ったら疲れた。夜は、南森町から北新地へ移転なった「文庫ヤ」で飲む。店主の本庄さんともひさしぶり。今日は、チンチン電車に乗って堺へ。自転車で一巡りしたら雨が降ってきて退散。南森町から映画の古書専門店「駒鳥」を訪問、個人的に取材する。そしたら、予約した新幹線、乗り逃がしちゃった。次ののぞみ、自由席で帰京。着いたところで携帯が鳴り、荷物を下ろし、オタオタしているあいだに、座席前ポケットに入れたスケジュール帳を忘れたまま下車。また、やってしまった。明日の朝はTBS。三条「ブ」で、「うめ吉」CDを5、6枚見つけ、「明治大正はやりうた」を一枚買う。それを「ディラン・セカンド」で聞いてたら、終わったころに、善行堂のお客さんでチョコパフュさんがやってきて、聞くと、ぼくなどより筋金入りの「うめ吉」の大ファン。握手もしたという。うーむ、参りました。チョコパフュ(パビュームの熱烈ファンでもある)さんは、ぼくと同年輩で、やっぱり東京へ行ったとき「末広亭」で、うめ吉さんにひと目惚れしたという。以後、おっかけをやっている。どれだけ魅力的か、わかるだろう。もっと知られてほしいような、そっとしておいてほしいような複雑な気分であります。
車中で「明暗」読了。岩波文庫大江健三郎の解説にうなる。「明暗」で子どもが出てくるシーンには、すべて「犬」のメタファーがつきまとうという指摘は、本当にそうだ。水村美苗「続 明暗」を読むべきか。由雄が湯治を名目に清子に会うため湯河原温泉へ行く道中からのシーンの連続がすばらしいのだが、とくに旅館での洗面器の水、鏡の描写が念入りで、大江はこれらは「夢あるいは異界への通過を媒介するシンボリズム」と解く。じじつ、そのあとの清子の登場は「亡霊」のようなのだ。このあたりのシンボリックな描写を「コクトータルコフスキー」になぞらえる。じつに不思議な小説だった。
あ、同年代の売れっ子ライター&編集者の川勝正幸さんが亡くなりました。焼死ですか。うーむ。20年近く前に、一度取材させてもらったことがある。