かくれ里

昨日は、ふらふらと午後から古本さんぽ。高円寺杉並好書会を覗いて、ビッグボックス、ささまと廻る。それぞれに収穫あり。買いそびれていた丸谷才一『星のあひびき』集英社をビッグで入手。丸谷才一の書評集が大和書房に始まり、マガジンハウス、集英社と出版社を巡っているのは、担当が同じ編集者だから。
新潮社でひさしぶりに再会した編集者のAさんから、「とんぼの本」はじめ、担当した本をたくさんいただく。白洲正子『かくれ里』『十一面巡礼』はカラー写真を大幅に増補した2010年刊の愛蔵版。ぼくはいちおう、たくさん所持はしているが、そんなに白洲のいい読者ではなかったが、こうして、大きな判型で、ゆったりとした組み方の本文と、きれいなカラー写真つきで読んでいると、やっぱりいい。
京都で言えば、鞍馬より北へ行ったことがなかったが、もっと奥にひっこんだ右京区桂川の源流あたりまで足を運びたくなってくる。そういえば、『かくれ里』を読んでいたら、昨日の夕方、NHKで路線バスで京都の「かくれ里」を探すという番組をやっていて、北大路駅前からバスで「雲ヶ畑」へ、蟹江敬三の息子(ですよね?)がルポしていた。なんというタイミングかと後半だけ見る。地元の小学校は全生徒4人。おとぎ話に出てくるような村だった。京都へ帰る楽しみができた。これはAさんのおかげ。
そう言えば、白洲の足跡を訪ねて、熊野へという取材を昔している。あのときは、ちゃんと熱心に読んだし、白洲が愛した宿に泊まったのでした。しばらく、そんなゴージャズな取材はしていない。

夕方、S社へ行ったら、いるはずの人が誰もいない。さあ、困った。連絡をとったら、一日間違えていた。ばかだねえ。まあ、下見したと思って、あきらめて帰る。森毅『ボクの京大物語』福武文庫はあまり見ない一冊。もう、栞ヒモがない時代。安保時代のころを含め、京大の教員時代の回顧。生田耕作は、しょっちゅう授業を休むのに学生に人気があった。79年編集翻訳した『バイロス画集』がわいせつ文書でひっかかり、女性問題も含めスキャンダルに。大学は問題にしなかったが、いづらくなった。フランス語教室は文士系と語学者系に分かれ、生田と山田稔は前者のタイプ。だから、生田が辞めるというとき「生田さんがいなくなったら、オレに風があたる」と山田はぼやいたそうだ。もともと京大の文学部は文士系。フランス語なら、生島遼一桑原武夫、伊吹武彦とたしかにそうだ。生島はボーヴォワールの翻訳であて、祇園の喫茶店でいつも舞妓さんとおしゃべりしていた、という。うらやましいなあ。
いい時代の京大仏文科の雰囲気がよく出ていて、楽しい。