本は無力か

仙台ジュンクのジュンちゃんが、ブログで「本が読みたい」という力強いメッセージを書いています。ニュースなどで被災地の避難所の風景が映されるたびに思ったのことは、ぼくが同じ状態にあったら、やっぱり本を読みたくなるだろうなあ、ということでした。支援物資のなかに、本を混ぜるのは難しいかもしれないが、紙の本は電気がいらない。時代小説やミステリ、あるいは心に響くエッセイ、困難に立ち向う人たちを描くノンフィクションなど、避難所に数百冊あればいいのに、と考えましたが、時節がら、言い出しにくかった。食糧、水、燃料、衣類の前に、本は無力か。ぼくなど、夜の停電3時間さえ、手持ち無沙汰でけっきょく寝て過ごした。「本」もやっぱり、水と同じように必要なんだ。それを被災地から、書店員のジュンジュンちゃんが発信してくれた。ありがたいことです。
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今朝、TBSで伊藤氏貴『奇跡の教室』小学館を紹介してきました。かつて灘校の国語教師橋本先生は、教科書を使わず、中学三年間をかけて、中勘助銀の匙』一冊を読込む授業をした人。自分で同じことをやろうと想像したらわかるが、力量と広く深い知識が必要です。『銀の匙』がむしょうに読みたくなる。
いつもこの季節になると、心がざわざわする。1990年のちょうど今頃、大阪をあとに上京してきた。あこがれの中央線に乗って、「高円寺」「阿佐ヶ谷」「荻窪」なんて、駅のアナウンスを聞くたび、うれしかったもんです。

自粛していたこぼれ話をひとつ。余震が続き、ちょっとした揺れ、あるいは揺れていなくても「あ、いま揺れた」と思ってしまいますが、地震のあと、音羽館の広瀬くんもそうだったみたいで、店内にいて、「あ、揺れた」と緊張したら、横のレジ台で、山崎くんが本に消しゴムをごしごしかけていたそうです。こういう話、不謹慎かしらん。そんなことないよね。