僕が その僕なのか

okatake2010-12-28

それにしても、晴れた日が続くなあ。
今年観た映画のベスト10。「ギンレイ」で観たものを中心に。必ずしも、今年公開のものとは限らない。順不同で。

1 グラン・トリノ 2 母なる証明 3 オーケストラ 4 海の沈黙 5 ミレニアム・ドラゴンタトゥーの女 6 フローズン・リバー 7 幸せの黄色いハンカチ 8 シャンソニエ劇場から 9 瞳の奥の秘密 10 海炭市叙景

今年、強く印象に残った私的なできごと。これも順不同。

1 黒岩比佐子さんの死。長年敬愛してきたディック・フランシスが逝ったのも今年だった。
2 映画「森崎書店の日々」にエキストラ出演。貴重な体験でした。内藤剛志さんと長々と喋ったのもいい思い出。
3 桂米朝師インタビュー。サン毎の著者インタビューで取材させてもらったが、もうほとんど受け答えができない状態でした。それでもうれしかった。米朝ファンの弟を、にわかのカメラマンに仕立てて同行させた。
4 「相対性理論」を聞く。この音楽の出現にはちょっとオドロキでした。しばらくくり返し聴いていた。
5 諫早へ。長崎密室花会。「夕暮の緑の光」を編んだことで、野呂の故郷・諫早に呼ばれ、帰りに長崎で一泊。このとき、九州の有志の古本屋さんたちが集まってくれ、振り市を開いてくれた。カンゲキでした。
6 彷書月刊休刊。最長不倒の連載が、ついに途切れ、足場を失った。途方に暮れました。「古通」がバトンタッチで引き受けてくれたのはありがたい話でした。
7 古本屋ツアー・イン・ジャパンとついに遭遇。富山の薬売りか、コンビニの営業マンかと噂されていた、謎の古本屋塗りつぶし男と、春の一箱古本市でついに遭遇。その後、ブログの更新は、全駅下車の乗り潰し鉄ちゃんみたいに、加速、果敢になっている。
8 本を売る。今年、音羽館に二度、本を大量処分。二度目は、どんどん好きなものを持っていってくれという、最後の切り札を切った。売ることもまた勉強なり。光文社新書メルマガで、「蔵書の苦しみ」として、このあたりのことを書いた。
9 「海炭市叙景」イベント、トーク各種に司会進行としてしゃしゃり出る。プログラムにも一文を寄せました。
10 「赤旗」に「上京する文學」連載開始。近代文学史を、「上京する」という視点から読みなおそうという試み。これは、書き手としての新たな鉱脈として、準備に時間をかけて、力を入れて書いています。
11 これはどうしてもはずせない。金子彰子さんの詩集『二月十四日』、夏葉社『昔日の客』、小学館文庫『海炭市叙景』、ポプラ社「百年文庫」の刊行。電子書籍元年の「黒船」来航におびえる出版界において、勇気ある、紙の本の逆襲を印象づけたできごとでした。
今日、届いた原書房の二冊も、「紙の本の逆襲」としての駆込み訴え。
山之口貘の『鮪に鰯』、『定本 山之口貘詩集』は、函入りのまま、現本を復刊、再現したもの。普通、こういう復刊はソフトカバー、となりがちですが、函入りというのが泣かせる。編集担当は、かつて「だいこんの会」によく顔を見せてくれた百町くん。よく、やったねえ。百町くんに敬意を表して、獏さんの詩から一つ。

「存在」
僕らが僕々言つてゐる/その僕とは 僕なのか/僕が その僕なのか/僕が僕だつて 僕が僕なら 僕だつて僕なのか/僕が僕である僕とは/僕であるより外には仕方のない僕なのか/おもふにそれはである/僕のことなんか/僕にきいてはくどくなるだけである
なんとなればそれがである/見さへすれば直ぐにも解る僕なんだが/僕を見るにはそれもまた/もう一廻りだ/社會のあたりを廻つて来いと言ひたくなる