尾崎一雄「東海道中膝栗毛」

okatake2010-10-24

朝、早起きして高円寺。庚申会館で「古本屋の逆襲」というトークがある。文生書院・小沼さんに、もと新文化編集長の石橋さんが聞く。これにでかけた。
本郷で1930年創業の「文生書院」は、海外の文献なども扱う目録ネット中心の店で、ぼくはこれまで縁がなかったが、話はおもしろかった。いま、館林に200坪の倉庫はじめ、総計600坪もの倉庫を構えて、インターネットなどで販売してらっしゃる。パソコン管理のシステムの導入も早かった。いま、オンデマンドで10年で50部売れるなら出す、という復刊もされている。出席されていた高円寺書林の原田さんが持ってた、1958年刊の「山東三省日本人電話住所録」というものが、文生さんの手にわたり、いかに貴重なものであるかが説明された。山東の「山」はロッキー山脈なり。コロラド州始め、日系移民の名簿ということらしい。「プランゲ文庫」の話も出てきた。文生さんの扱うのは、スケールの大きな資料ものだ。最後に「本草綱目」の現物、イギリスの金持ちが製本させた三方金の革装の本など見せてもらった。これは小口に絵が浮かび上がる細工が施してある。
ぼくはいちばん前で話を聞いていたが、聞き手の石橋さんが、この日のために、事前に文生さんに取材し、古書会館での業者市にも二回足を運んで写真撮影され、準備万端ととのえているのに感心した。テーブルの上の厚いノートには、殴り書きではなく、清書したらしい文字がびっしり埋まり、その他、資料を揃え、大事なポイントは大きめの付箋でノートに貼付けてあった。ううむ、できるな。
帰り、北公園での手作りアートと古本市を覗き、あれは盛林堂さん出品かな、新刊割引の『昔日の客』が眼の前で、若い男性が買っていくのを見た。そうそう、文生さんの話にも『昔日の客』が出てきました。「あれは、ほんとうは、われわれの側で誰かがやらなくちゃいけない復刊だった」と夏葉社を讃えていた。
高円寺即売会は落穂拾いの三冊。小学館「少年少女世界名作文学全集」の『東海道中膝栗毛』が、尾崎一雄の文、だったので買う。これは、本当に尾崎一雄の仕事だと思う。
風邪気味、帰り「ささま」にも少し寄ったが、均一でヘトヘトになり、ふらつきながら帰宅。吉岡秀明『京都綾小路通 ある京都学派の肖像』をベッドでメモをとりつつ再読。これは杉本秀太郎への聞き書きをもとに、京都学派の強者どもの横顔をスケッチしつつ、杉本のこれまでの道のりを追う仕事。おもしろい。誤植が少し目立つ。桑原武夫を隊長に、1967年、ヨーロッパ学術調査隊と称して、京都学派がイギリス、フランスへ。加藤秀俊、、梅棹忠夫多田道太郎など。杉本は初めてのパリ。羽田でトラブルがあり、杉本は飛行機を探して走る。当時、バスもあったが、飛行機までみんな歩く。たどりついた便が「ハワイ行き」とわかり、また走る。パリ行き便ははるかかなた。
パリにつくと一年前からパリに滞在していた山田稔が迎えにきてくれた。多田道太郎がマイクに見立てて雨傘で、「杉本将軍、パリ到着の第一声を」とおどけたが、杉本は雨傘とマイクの区別もつかず、「ハッ」というのがせいいっぱい。その日の歓迎会で、桑原が杉本の羽田での騒動を「パリに来るつもりで、ハワイへ行きよった」とまぜかえした。話が早くも拡大されたのである。全編つうじて、京都学派における、桑原の人間の大きさがきわだつ。
こういう楽しい話がたくさんでてきて、登場人物は豪華。楽しいよみものだった。林哲夫さんなら、もっとうまく紹介するだろう。