ふがいなさは自分を見るよう

okatake2010-06-05

エンテツさんが文章を書き、瀬尾幸子さんが料理を担当した『みんなの大衆めし』小学館をいただきました。ポテトサラダ、スパゲティナポリタン、生姜焼き、魚肉ソーセージの天ぷらまで、おかずがガラスケースにあるような町の食堂のメニューを、家庭で再現するためのレシピが、きれいな写真つきで紹介されている。ぼくも、こういった「町の食堂」が大好き。どんなに高級なフレンチやイタリアンを食べても、これら町の食堂で、中飯と味噌汁、それにサバの味噌煮に野菜天ぷら、冷や奴を取って1000円ぐらいの食事に勝るものはない、と思っています。エンテツさん、快調ですねえ。
河出文庫からは久生十蘭珠玉傑作集『久生十蘭ジュラネスク』を。西口さんいつもありがとうございます。
小学館文庫からは、北上次郎昭和エンターテインメント叢書がずっと送られてきていて、藤原審爾『昭和水滸伝(上下)』をいただきました。
先日、長崎で「花会」を主宰してくれた西海洞さんから、大きな荷物が届く。開けると古いトランク。「花会」では本以外にもトランクやシルクハットなどが出品されたが、ぼくは持って帰ることを考え、パスしたが「いいなあ、一箱古本市にぴったり」ともらしたのを、増本くんが聞き逃さず、送ってくれたのだ。トランクがいやに重いなあ、と思って開けると、フロシキに包んだ「上方ばなし」が40冊近く、そのほか諸々が玉手箱から出るように出てきた。こんなによくしてもらうほどの者じゃないのになあ、と思いながら、その心遣いに感謝する。
ジャパン対コートジボワール戦は、そのふがいなさが、詰めの弱さが、まるで自分を見るようでいたたまれなくなってくる。ボヴァリー夫人は私だ、という心境であります。
「buku」の最終原稿をなんとか送付。映画館についてずっと書いてきたがついにネタ切れ。映画についての連載は初めてで楽しい仕事だった。別の企画で参加させていただきたいが、誌面の都合もあるだろう。年に四度の中央線飲み会も、この雑誌が起点となってできた。「読書人」の書評、『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』も手こずりながら、なんとか送付。あとは「ビッグイシュー」と、「彷書月刊」だ。がんばります。
長崎「花会」でぶんどった、見たことも聞いたこともない香川登志緒の新書とは、『スチャラカ論語』有紀書房。昭和41年。鳳啓介を中心に、論語に典拠しながら、芸人仲間のエロ話をエピソードとともに開陳した本。