諫早、そして長崎

okatake2010-06-01

諫早、長崎で撮った写真を、近所のカメラ屋でプリント。41枚を、買ったアルバムで整理。29、30、6月1日といずれも晴天。トラブルなく過ごす。
諫早では、元文藝春秋社の豊田健次さんと一緒に、野呂応援団の人達の案内で、あちこち文学散歩をする。「古本屋へ行きたいのですが」と、それとなく何度か、声に出してみたが、声が小さかったか届かなかった。そりゃあ、そうです。野呂邦暢のために来たんだもの。豊田さんと、何度もツーショットの記念写真を撮られ、「いったい、あとで写真を見たら、二人は何だと思うでしょうね」と苦笑い。野呂の墓にも御参りし、散歩道を歩き、図書館を訪ね、野呂の住んでいた家、鳥たちの河口の舞台となったあたりへも行った。もうしぶんない、野呂追悼の旅となった。その夜、諫早市長も参加しての小宴が開かれ、散会後、豊田さん、みすずの宮脇さんと、すでにクローズした喫茶部で、無理を言っていっぱい、焼酎を飲む。
あまりにいろんなことがあり、あまりにいろんな人に挨拶し、野呂文学の原液を飲んだせいか、明け方まで寝付かれず。ずっと『諫早菖蒲日記』そのほかを読んでいた。やっぱり諫早で読むと違いますねえ。3Dみたいに立体的だ。
翌朝、菖蒲忌に参列し、昼からホテルのパーティー会場で、菖蒲忌30回記念、出版記念の会。豊田さんに続いて登壇し、少し野呂の文学について語る。用意した5分の1も喋れなかった。ようやくお役目を終え、宮脇さんと諫早駅まで歩き、宮脇さんはそのままタクシーで長崎空港へ。ぼくは、長崎本線の海回りのルートで長崎へ。大村湾が光を受けてきらきら光っていた。
長崎では風頭のホテルで、九州の古本屋さんたちが集まって歓迎の宴が開かれることになった。唐津の西海洞・増本くんが骨折ってくれたのだ。くわしくは書けないが、一室に10名ぐらいが集まり、交換市をした。これが、目をみはるようないい商品ばかり。野呂邦暢のサイン本がバンバン出てくるわ、洲之内徹の新潮社著作揃いが、一冊ぐらいの値段で落札されるわで、興奮する。ぼくも4、5点落とした。香川登志緒の見たことも聞いたこともない著作が、10冊ぐらいのなかに出て、思わず、「悪いがこれは一冊だけ別にぼくが買う」と勝手に値をつけた。参加された方を書くと支障があると悪いので、書かないが、鹿児島から福岡から駆けつけてくださって、感謝だ。忘れがたい一夜となった。
翌朝、つまり昨日は、お世話になった長崎の古本屋さん巡りをする。このあたり、「彷書月刊」に書くつもり。また、読んでください。
3日とも、みなさん、涙ぐみそうになるほど親切で、大名のように下にも置かないもてなしでチヤホヤされて、すっかりいい気分。身分が降格する東京へ帰りたくなくなりました。
長崎では念願の舟越保武作、二十六聖人殉教碑に対面(写真)。しばらくじいっと見上げて見入っていました。また、長崎へもゆっくり行きたいし、諫早へも行きたい。
あ、そうそう、帰り長崎空港18時45分発に乗ったのだが、羽田に早く着き、すぐリムジンバスに乗れて、渋滞を免れ、中央線への接続もよく、22時には国立駅に立っていた。3時間とちょっとで、長崎から飛行機に乗ったら国立に着いた〜、信じられない早さだ。
鹿児島の20代の若者が、店売りの古本屋を地元でオープンさせました。ブログがあるので、覗いてみてください。いつか鹿児島へも行きたい。
http://tsubamebunko.chesuto.jp/e370357.html