あれこれ過ぎ行く暮らし

長田弘『本を愛しなさい』みすず書房を読んでいますが、すばらしいですね。文章が詩みたい。これは名著『私の二十世紀書店』(増補されて、これも「定本」版がみすず書房から出ている)の外伝ともいうべき一冊で、オーデン、アンダスン、ハックスリー、ブレヒトなど、著者お気に入りの作家をポルトレ、作品紹介、エピソードなどを連結させて物語みたいにつづっている。どれも読みたくなる。これは大事にしたい一冊だ。
改版されてカバーも変わった新潮文庫田山花袋「蒲団」をメモを取りながら読む。解説で福田恆存は「平凡稚拙な小説」、田山花袋を「ほとんど独創性も才能もないひと」とボロクソ。ぼくは、東京の坂と、出てくる女性の風俗などを中心に読む。最後はゲラゲラ笑ってしまうのだが、そう読めば読めるのである。一緒に『山手・下町散歩』と、「国文学」の「明治世紀末」特集号を参照にする。この「国文学」、よくできていますよ。博文館・大橋佐平について書いた高山宏『彼我の百科世紀末」に大いに教えられる。
「yomyom15」では百歳のまど・みちおインタビュー(小池昌代)、リリアン・ロスのサリンジャー追悼をおもしろく読みました。もちろん、ナンダロウくんの「小説検定」ごくろうさまです。これ、本になりそうかな。
彷書月刊」5月号は「松尾邦之助」特集。ぼくは尼崎「街の草」と「図研」について書いています。
そのほか、受贈書いろいろありますが、ちょっとフォローしきれていません。すいません。
昨日は夕方から新宿。紀伊国屋サザンシアターで、「志らく独演会」。石田千さんからの御誘いで、ネギさんとともにお呼ばれ。席につくと、元晶文社高橋千代さんがいた。なんでも、ついさっき、紀伊国屋でばったり千さんと出逢い、その場でチケットを都合してもらったという。打ち出の小槌みたい。今夜の志らくは、前座やゲストなしの、ほんとうの独演。「洒落小町」(上方では「口合い小町」)、それに大ネタ「浜野矩清」を。後半、会場からのアンケートの質問に答えながら落語談義。これがおもしろかった。大いに笑わせながら、しかも志らくの考える落語の核心がちゃんと出ている。たいしたもんだ。
打ち上げにも誘われたが、「人見知り芸人」なので、嵐山さん、坂崎さんに挨拶し、ネギさんと「コクテイル」へ。魚雷くんもやってきて、終電間際まで飲む。狩野くんはジュニアをカンガルーみたいに旨に抱きながら、仕事をしている。ぼくの「古本の埃と匂いで強くなるんやなあ」と訳のわからない話しかけに、ポチャポチャしたジュニアがニコニコ笑っている。愛想のいい子だ。連れて帰りたくなった。ネギさんとはいつも山田太一の話になるな。
今日は遅く目覚め、日本映画専門チャンネル川島雄三「銀座二十四帖」をメモを取りながら見る。二回目かな。昭和30年ごろの銀座があちこちロケで映る。なんと美しい町か。例によって、巻頭すぐに、多摩川べりの風景で、肥をかつぐ男のショットがある。川島は便所やばっちいものを必ず映画に入れてくる。
ラスト近くの服部時計店の見える屋上での、「第三の男」を意識したようなシーンがいい。森永の地球儀、ナショナルの星形の大きな電飾が映り込む。ほか、東京温泉の屋上や、大阪の百貨店の屋上など、これは「屋上」映画でもあるんだ。あと、気障なフランス返りの軽佻浮薄な画家・桃山(安部徹)が「ざんす」と語尾につけるが、口ひげなど、おそ松くんのイヤミのモデルではないか。
五月も、東京の懐かしい風景の映り込んだ映画の特集がひきつづき、日本映画専門チャンネルで放映される。引き続き、東京研究のため、見るつもり。