ディック・フランシス『拮抗』

okatake2010-04-10

昨日は早起きして、「ビッグイシュー」原稿、ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』を書いて送付。いろいろ準備したが、書き足らなかった。気になったのは漱石はこれを読んだだろうかという点。漱石が英国留学するのが1900年。『ボート』は1889年の作。漱石の時代、英国における評判の現代文学だった。お伴の犬が喋ったり、三人の男の果てのない閑談など、趣向が「猫」と似通っている。
サンデー毎日」を終え、道を挟んでお隣りの国立近代で「小野竹喬展」を観る。チケットをもらっていた。二枚あったので、一枚を、いまから窓口で買おうとしている女性に「これ、どうぞ」とさしあげる。「日曜美術館」とか、どこかで紹介されたのか、すごい人だ。初期作品は一瞥ですたすたと前に進む。70、80になってからの仕事の充実ぶりに感嘆する。雲と空と木、それに水。抽象性にまで近づいた表現、それに色がなんといってもウツクしい。常設展もさっと観てまわる。美術の教科書で見たような名作がゴロゴロと八百屋のように展示されているのが、ちょっとおかしくなる。やっぱり、松本竣介の前で釘付けになった。
返り際、エレベーター前で川本三郎さんを見かけて挨拶。川本さんに会うと、ちょっとうれしい。
今日はコミガレ、タテキン、和洋会で一冊も買わず。こういう日もあるのだ。和洋会の勘定場で、古本のこと、何も知らなさそうな老婆が、このへんに古本屋はあるのかと聞き、若い店主が神保町を説明するのだが、その行き方について、ちょっと異常なほどしつこく、くり返し聞く。会館を出られてすぐ坂を下れば交差点があり、目の前の三省堂書店、この先はすべて古本屋街です、と言えばよかったろうが、事実、最初はそんな説明だったのだろうが、会館を出るところから、まず確認が始まり、えんえんと質問と疑問を繰り返す。神保町の説明がこんなに難しいとは、聞いていて、申しわけないがそのご婦人にイライラしてくる。これはもう連れていくしかないな、なんならぼくが案内しようかと思っていると、業を煮やした若い店主がやっぱり外まで案内しにいっていた。やれやれ。
行き帰りの車中で、ディック・フランシス最後の新作『拮抗』を読了。ブックメーカーという仕事、並ぶ数字や仕組みは、わからないところがたくさんあったが、息子と組んだ最終作は快調で、堪能して読了。夫人の生前は夫人が書いているんだろうと言われ、亡くなってしばらく筆を折っていたから、やっぱりと推量され、復活してからは息子が書いていると言われたディック・フランシスだが、ぼくは、やはり基本、自身の手によるものだと思った。プロットの立て方、人間観察の細やかさ、箴言を含むセリフ、土地の描写のディテールなど、これはもうずっと変わらずディック・フランシスタッチだ。小説は餅屋のように、先代のを受け継いで、というふうに同じものは作れない。
夕食後、家族で買い物がてら花小「ブ」へ。しかし、ここは大型店ながら、ほんとうに、まったくひっかかりのない店だな。J・ロバート・ジェインズ『磔刑の木馬』文春文庫を見つけたのが収穫。