田村治芳さんデー

okatake2010-01-24

田村治芳さんから古書組合の月報を送っていただく。昨年8月号。ここに東部の古書ことば(山崎賢)さんによる「泪橋古書展顛末記」という記事がある。40数年間、一般のお客さんには禁断の場所、その昔ここは日本のアウトローが集まる場所で古書展が行われることになったいきさつ、開場までの顛末が描かれている。初めての即売会で意思がぐらつく気弱な参加者を前に「売れなかった、といって飲む酒もまた格別だよ!」と言って、ベテランが後押しをしたという。これ、いいことばです。
そのほか各地区組合代表者による座談会や、往来座せとくんの「白いたまごっち」、金沢へ移転したオヨヨ書林の、ただ飲んだくれているだけの連載など、隅々まで読んでしまった。おもしろいなあ。この月報を読むために組合に入ろうかしらん、と思うほど。
隅々まで読んだと言えば、「彷書月刊」今月号(2010年2月号)が、「勝手ながら七痴庵戯文録」と題した田村治芳さん特集号。古本業界の異端児としての同級生(開業が田村さんより一日早い先輩の)喇嘛舎・長田俊一さんとの対談を始め、あちこちに書いた田村さんの文章が集められている。「映画のただのチラシでもうける古本屋 長田俊一(26)」は「pop-up!」という雑誌の昭和54年1月号からの転載。儲かっている古本屋として喇嘛舎さんが紹介された。もとはタダの「『戦国自衛隊』のチラシ二千五百枚、一枚五十円だったけど、気がついたら一カ月でなくなっていた」と、「足もとの段ボール箱にどんどん入っていく千円札を足で踏みつけながら帳場に座っている」(田村)という伝説を生んだ往時のことを含め、古本屋という商売のうまみ、厳しさがなごやかに語られている。「一九六九年・東京」という田村さんの上京日記もある。荒川洋治さんと交流があったのだ、と前から聞いていたが、ここでまた確認。あのころ、みんな若かった。このころ、ぼくは中一。
ぼくの連載(145回)は下高井戸「豊川堂」へ。原稿では書けなかったが、ここは坪内祐三さんのお膝元で、豊川堂についても「本の雑誌」でちゃんと書いておられます。QBB「古本屋台」のレギュラー出演者としてぼくらしき人物がまたもや登場。実物よりやせ形でお洒落ですが、ぼくの口癖は、車を運転しているとき「みんな何考えて生きてるんやろ?」と呟いているから、やっぱりぼくだ。
石田千さんの「踏切趣味」でも「連載長屋の岡崎武志さんに教えられて」とぼくの名が。鶴見・花月園へ石田さんが足を運んでいる。あれは何年前か、同誌の連載で、ぼくが花月園へ訪ねたとき、石田千さんにぜひどうぞとたしかおすすめしたのだった。このときはかつてダンスホールがあった遊園地、花月園のことで頭がヒートアップしていた。熱は冷めたが、お灸の跡みたいに、花月園への探究心はまだ残っている。
田村さんとハルミンさんの、かつてなないろ文庫の店長と店員だった二人のトークが「西荻ブックマーク」で開催されます。これは、ぼくも行きます。残り席僅少とか。予約のかたはこちらから。
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