つれづれなる

明るいあいだは、なんだかいやに暑かったが、日が落ちると寒くなってきた。
広島への行き帰りに読んだ、ラヒリ『その名にちなんで』新潮文庫について、原稿を書いて「ビッグ・イシュー」へ送付。ちょうど、前回書いた原稿のゲラも届いていて手を入れる。本の書影と、イラストが入るので、正確な字数がちゃんとつかめないまま、だいたいでいつも書いているが、書きすぎると、書影、イラストのスペースが少なくなるので、ゲラで案配するのだ。
坂崎重盛さんの『神保町「二階世界」巡り 及ビ其ノ他』平凡社の書評を、東京新聞に書いたが、その後『諸君』からも同じ依頼があり、他紙に書いたことを告げ、いちおう辞退したのだが、新聞と雑誌では違うし、別の視点で書いてくだされば、と熱心に言ってくださり、引き受けた。この本なら書くことはいっぱいある。そこで再度、焦点を定めて、パラパラと再読。
このところ受贈書や告知などをさぼっていますが、お許し願いたい。
アスペクト」が季刊になると聞いたが、今日もらった編集部の手紙では、事情が変わり休刊となった、とある。終刊号も出せずにいきなり休刊ということらしい。連載執筆者は驚いただろう。どこを向いても、本まわりではいい話がなく、どうなることやら。
先日、音羽館で自作朗読CDつき『やさしい現代詩』三省堂を900円で買ったが、きょう、CDを聞いてみる。谷川俊太郎を始め、平田俊子田口犬男小池昌代伊藤比呂美佐々木幹郎など著名詩人が並ぶ。谷川さん、入れ歯かなあ、ちょっと発音不明瞭なところがある。しかし、「私は私」はいかにも谷川世界。平田俊子小池昌代伊藤比呂美、高橋順子、白石かずこなど、女性の朗読がおもしろい。
もうこの二、三カ月になるが、何を食べてもうまくなく、とくにご飯が、味がしない。朝など、なんにも食べたくなくなる。そういう病気もあるらしいのだが、ネット検索すると、どうも亜鉛が不足しているらしい。アルコールの取り過ぎとも関係あるらしく、それなら思い当たる。亜鉛を多量に含むのは「牡蠣」とのことで、牡蠣を食べよう。それに、亜鉛サプリメントも。これまでビタミン剤やサプリなど、まったく無縁に過ごしてきたのだが、もう50過ぎだからなあ。
しぼみかけた風船に空気を吹き込まなくてはならない。

以下、「産経ニュース」より

死去した森繁久弥さん

映画「夫婦善哉」や舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」、テレビドラマ「七人の孫」など日本の大衆芸能に大きな足跡を残し、現代演劇界初の文化勲章受章者の森繁久弥もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。大阪府出身。自宅は東京都世田谷区船橋3の4の15。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は次男、建(たつる)氏。
 大阪府枚方市生まれ。昭和11年、早大商学部を中退、東京宝塚劇場(現・東宝)に入り、3年後、NHKのアナウンサー試験に合格。旧満州(現中国東北部)の放送局で勤務した。
 21年に帰国、NHKラジオ「愉快な仲間」などに出演、コメディアンとして頭角を現し映画界に進出した。出世作は「三等重役」(27年)。以来、“サラリーマン”“社長”“駅前”の各シリーズの喜劇や人間味あふれる代表作「夫婦善哉」(30年)など出演本数は300本を超える。
 舞台でも数多くの作品に出演。42年初演のミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」では主役のテヴィエを演じ、連続20年、計900回という日本ミュージカル史上、最多上演記録(当時)を達成した。
 テレビでは39年から出演の「七人の孫」が平均約30%の高視聴率で国民的番組となり、「だいこんの花」「麗子の足」などドラマ史に残る名作は多い。最近では不定期の単発作「おやじのヒゲ」シリーズが人気だった。
 「森繁自伝」などエッセイストとしても著作を残し、49年に菊池寛賞を受賞したほか50年、紫綬褒章、54年、芸術選奨文部大臣賞、62年、勲二等瑞宝章を受けた。59年には大衆芸能の分野で初めて文化功労者に選ばれ、平成3年、現代演劇界初の文化勲章に輝いた。
 8年11月、日本俳優連合理事長として橋本龍太郎首相(当時)と会い、俳優・音楽家知的所有権の保護充実を求めた。9年8月公開のアニメ映画「もののけ姫」では声優として参加した。
 最後の出演作は、映画では16年の「死に花」、テレビドラマでは同年「向田邦子の恋文」。19年に、「最後の作品」と銘打った朗読DVD「霜(しも)夜(よ)狸(だぬき)」(録音は3年)が発売されている。
 7月下旬に夏風邪のために発熱、たんがからんだため大事をとって都内の病院に入院していた。

ちなみに森繁は大阪府枚方市出身。ぼくと同郷なり。