オーデン詩集

okatake2009-02-28

ひさしぶりに8時間近く連続して寝て、起きたら10時半。リビングには誰もいない。バナナ一本食べて高円寺へ。昼飯たべて即売会。ごちゃごちゃ買ったが、買物というか、ぼくにとってタイムリーだったのは、せりか書房、深瀬基寛訳『オーデン詩集』裸本が500円。加藤典洋『文学地図』の大江への言及に、深瀬訳オーデンのことが触れられていて、大江は深瀬訳のオーデンの影響を受けている。「見る前に跳べ」は、そのまま深瀬オーデンの詩のタイトル。それで、少し引っかかっていたが、「ヨムヨム」の巻頭随筆が、丸谷才一「本の本を紹介する」で、『オーデン わが読書』、『染物屋の手』が挙げられている。ともに晶文社、中桐雅夫訳。そこでも深瀬訳オーデンへの言及があり、ただ、原文にくらべれば劣る、という。まあ、そう言われても。
そんな下地があったもんで、『オーデン詩集』はうれしかった。裸本の背と装幀(平野甲賀)を見て、そう、このままのかたちで、京都「福田屋書店」の海外文学の棚に並んでいたな、と思い出す。もう30年ち前の話だけど。だから、むしろ裸本がなつかしい。30年前、裸本でも、とても500円なんかでは買えなかった。1000円以上ついてたのではなかったか。だから眺めるだけ。
古楽房」へ行く途中、「越後屋」の入口で、おじいさんといっていい、年輩の客が「ゲゲゲの鬼太郎はないか?」と叫んでいる。その「ゲゲゲ」が、どもって、うまく伝わらない。結局、ない、みたい。こんなおじいさんが、いまさら「ゲゲゲの鬼太郎」って! しかも、コンビニコミックスになってるぐらい、その気になれば、どこでもあるじゃん、と思いながら「古楽房」で始まった映画書特集を見ていると、また、このおじいさんが入ってきて、白シャツ王子に「ゲゲゲ」と言い出した。ないよ、見るからに、とぼくは思ったなあ。「見る前に跳べ」って、跳びようもないけど。まったく、古本回りにはいろんなことがあるなあ。
「ナジャ」でジャズ聞きながら、『オーデン詩集』を読む。京都時代の青春がよみがえったようだ。「ナジャ」は本当にいい店で、ぼくが高円寺で住んでいた20年近く前、あたりまえだが、ネコみたいなママさんはもっと若かった。いや、いまでもじゅうぶん、魅力的なひとだが。
このあと「ささま」「音羽館」「興居島屋」と回る。ほんと、代わり映えのしない土曜日だ。「音羽館」に、いま、かつて「都丸」にいた若い男の子が手伝いに来ていて、少し喋ったが、「都丸」のマドンナ、Kさん(海外への放浪の旅へ出た)が、いま、どうやら高遠で自給自足の生活を送っているらしいのだ。高遠「本の家」と接点はないのか、と余計な推測を。
夜は夜で、家族で回転寿司を食べて、「ブ」2軒寄ったが、まあ、どうでもいいことだ。「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」を買う。
今日は古本、30㌔ぐらい買ったかな。