熱く濃い夜にあてられ大幅に寝坊

okatake2008-11-29

起きたら昼の十二時近くだった。死んだように眠っていたらしい。
昨日は、早くに神保町へ。昼を、ある編集者とご一緒することになっていたので、ついでに「和洋」展へ。入口で知り合いの人に出逢い「おや、珍しいですね」と言われる。たしかにこんなに早く神田の古書展を覗くことは珍しい。ぐるりと回り、昭和十五年、誠文堂新光社「僕らの科學文庫」シリーズの一冊『船』を1000円で。このシリーズは函入りで、たっぷりとした造本で、図版がいっぱいあってとても好ましい。安ければ全巻揃えたい。ほかに「宇宙旅行」「化石の世界」「原子の世界」「火と焔」などなどがある。「火と焔」は盛ってる。「汽車と電車」「自動車の話」「ラヂオ」なんかも欲しい。大正15年、日本評論社、おおさか朝日新聞経済部編『商売うらおもて 続編』は800円。正編は持ってる。「犬猫大明神の三味線屋」「釣道楽を釣る商売」「秘密で固まった電球」「叩き放題の古本屋」など興味津々の話題がずらり。これで原稿一本書ける。『ア ロング バケイション』は大滝詠一・永井博の絵本で300円。それに英文の絵のきれいな絵本を300円で一冊買う。会場内で黒岩「食道楽」比佐子さんに遭遇。ありゃ、またいっぱい抱えてら。「こんなのを」と見せられたのは、表紙は古い雑誌の、だが、中味は村井弦斎の雑誌連載小説を切り取って、一冊にまとめたもの。「これは私が買うしかない」とお比佐さん。そうだろ、そうだろ。
三省堂前で待ち合わせた編集者(女性)は、ずっと某誌で連載を担当していてくれた人。ずっとメールとファクスのやりとりだけだったが、「一度お目にかかりたい」と言うので、今日、ということになったが、すぐに「ああ、そういうことね」と思ったら、そういうことだった。つまり休刊だ。途中まで映画を中心にカルチャーの情報を伝える、とてもよみごたえのある雑誌だったが、セレブにカネを使わせる方向になって、ぼくなど「これは読むとこないぜ」と思っていたのだ。まあ、仕方ない。彼女には長年お世話をかけたので、さっき和洋会で買った英文絵本をプレゼントする。お父さんかお母さんが、英文の下に、すごく丁寧な字で和訳をつけている。
コミガレで、頭が痛くなるほど迷ったうえ、三冊。ユリイカの「エリック・サティ」。現代詩手帖の「ル・クレジオ」、新潮の「名短編」を。これは仕入れ、だな。
サンデー毎日を終え、4Fに上がったら、魚雷くんがいて、「じつは今夜、音羽館の広瀬さんと、おもしろいメンバーと飲み会があって、岡崎さんも来れたら」と言うので、急遽参加することに。
それまで時間があるので、高円寺へ。「都丸」で戸田学編『六世笑福亭松鶴はなし』岩波書店を1050円で買う。これは読みたかったんだ、さっそく夜までガシガシと読み、ほぼ読了。均一でサンリオ文庫版、レイ・ブラッドベリ『万華鏡』を100円で、これは川本三郎さんの訳。よおっ、サブちゃん。
夜の音羽館にいると、生田さんが本を売りに来た代金を受け取りに来ていた。ふええ、すごい金額で売れたんだ。生田さん、あいかわらず元気。買った絵はがきを持ってた。小林かいち再評価の動きも聞く。
さて、その夜の宴の話だが、これはあんまり濃いすぎて、ちょっとまとめようがないな。出席者は広瀬くん、ぼく、魚雷くんに加え、音楽プロデューサーの関口直人さん、バンド「カーネーション」の直枝政弘さんとそのマネージャー横尾紀子さん(美形)。いいですか、以下、よく聞いてくださいよ。
直枝さんは大変な古書・文学通なのだが、知り合った関口さんにある時、関口さんをまさかそうとは知らずに「長い間探している本があって」と、そのタイトル『昔日の客』を持ち出したところ、関口さんが言った。「それはぼくの親父が書いた本ですよ」。つまり関口さんは、あの伝説の大森の古書店山王書房関口良雄の息子さんなのだ。このジョンとポールの出逢いのような、ありえない衝突を、その場一同、つまり広瀬くん、魚雷くん、ぼくは凍り付いたように聞いていた。といっても広瀬くんと魚雷くんは直枝さんの著書『宇宙の柳、たましいの下着』あとがきで知っていたのだが。それからの関口さんの独り舞台による、山王さんの思い出、70年代初頭にかかわったCMソングの話は、ちょっと濃すぎて、この場では再現できない。広瀬くんに、これは「西荻ブックマーク」でしょう、と持ちかける。それと、『昔日の客』をちくま文庫に入れる会をその場で結成する。直枝さんの口からも正宗白鳥尾崎一雄なんて名前が、ポンポンと飛び出してくる。横尾さんはぼくの『気まぐれ古書店紀行』を持参してきてくださる(サインさせていただく)と、大変な夜になってしまった。
その熱と酒にやられて、昼まで寝てしまったのだ。
内澤旬子さん『おやじがき』にんげん出版,をいただきました。これはおもしれえや。かつてコピー刷りのをいただいたことがあって、一昨日だったか、ぼくがちょうど考え事をしていて、ぽかっと口を開けて天をあおいでいたら、娘が「おとうさん、内澤旬子さん(と必ずフルネームで呼ぶ)の描く「おやじ」みたいな顔をしている」と指摘されたところだったのだ。そこへちょうど本が届いたので、そのタイミングに驚いたのだ。娘は、この『おやじがき』がにんげん出版から出たことさえ知らないから。だから、ずいぶん前にもらった本の、よく絵柄まで憶えていたな、と感心したのだが、それだけインパクトが強かったんだろう。その「開口」おやじもちゃんと出てくる。「男は枯れていくのではなく、煮詰まってゆく」という辛酸なめ子の帯文どおりの、おやじ力満開の本だ。