赤塚不二夫、死す

okatake2008-08-02

赤塚不二夫が死んだ。以下、産経新聞より抜粋

9年末に食道がんが判明し、12年には急性硬膜下血腫で開頭手術。それでも笑いへの情熱は失われなかった。同年に出版した視覚障害の子供たちのためのギャグ満載点字絵本「よーいどん!」が大ヒット。しかし、14年には、脳内出血で再び手術。16年からは意識不明の状態が続いていた。18年には闘病を支えた妻、眞知子さんが急逝した。
 10年にがんを公表した際、同じ食道がんを患った落語家、立川談志さんと“がん対談”を行った。もらった名は、立川不二身(ふじみ)。記者会見の席では、“シェー”のポーズとともに、得意のユーモアでがんをこう笑い飛ばした。
 「忙しすぎて、死んでいる暇なんかないのだ!」



要するに、Xディは時間の問題で、それが今日であっても、まあ、あまり関係ない。ご冥福を祈る、としか言いようがない。ぼくは、赤塚さんに取材している。もう10年ぐらい前か。何度かひとには喋っているが、当時、取材のさいちゅうにも、しょうちゅうを水で割ってがんがん、水のように飲んでいた。ちょうど写真家の加納典明が、ヘアヌードの雑誌「tenmei」を出していて、それを広げながら、「なんだよ、これ。お○○○見えてるじゃないか。ひどいなあ」と怒ってらした。文庫版の「天才バカボン」を差し出して、サインを所望したら、快くサインペンをとって、逆立ちしたバカボンのおやじの絵まで描いてくださった。その途中、いきなりブッと鼻血が吹き出し、その一滴がサインの横についた。「あっ」と驚いたが、赤塚さんは平然と「だいじょうぶ、だいじょうぶ、いつものことだから」と、平然とティッシュで拭いていた。だから、赤塚さんの血痕つきサイン本をぼくは所持している。
ちょうど『昭和三十年の匂い』で、「おそ松くん」からけっこう引用しているので、その点で感慨があった。
遅れた「インビテーション」の書評、宮崎駿『折り返し点1997〜2008』を書く。字数が少ないので、ほとんど書けない、ってのは「狐」の書評以来、禁句なのだが、やっぱりちょっときついなあ。
リブロ池袋本店「夏の古本まつり」目録とどく。8月13日から19日まで。ひさしぶりに「往来座」を一緒に覗くか。
長田弘が25冊の本を題材に書いた25編の詩集『幸いなるかな本を読む人』毎日新聞社、がとどく。これは長田さんならではの仕事だ。「檸檬をもっていた老人」は、「読むことは歩くことである。歩こう、空で、鶏の声がした」で始まる。京都「丸善」が消えた日に、京都で、104歳になった梶井基次郎と合う、という詩。
双葉社から湊かなえ『告白』が届く。小説推理新人賞受賞作をふくむ。
BSで途中から黒澤の「生きる」を見る。もう、何回見たかわからないが、みごとだと思う。高校生、大学生に一度は見せておくべき映画ではないか。
話題の栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史新曜社から、庄司薫の章だけ読む。知らないことがいっぱい書かれていた。