倉敷から米子、そして境港へ。

無事、米子から帰還。2泊3日の旅だった。くわしくは「彷書月刊」に書きます。
28日にのぞみで岡山まで。そこから快速で倉敷。「蟲文庫」さんを訪ねる。何も知らせず、いきなりだったので、なにがあっても動じない感じの田中美穂さんも、さすがに驚いていた。少しだけだが、顔が見れて、お話しできて、やっぱり倉敷へ行ってよかったなあ、と思った。ここから伯備線という、すべて山の中を走るローカル線に揺られて米子入り。すでに今井書店の永井会長を中心に、ナンダロウくんたちなど、宴会が始まっていた。蔵のなかというのがいい。裏には川。米子の夜は更ける。
翌朝、ナンダロウくんの先導で、タクシーで「板祐生」記念館へ。これは孔版画家で、一生を鳥取の小学校の先生として行き、郷土玩具や膨大な紙ものコレクションをした人。とにかく、そのすさまじい全方位の蒐集のエネルギーに圧倒される。世の中にはすごい人がいる、とよく簡単に言うが、まずこれを見てから言ってくれ、という感じ。
午後は、駅近くの立派な文化センターで、ナンダロウくんとトーク。天候は雨風が吹く、最悪の状況だったが、ほぼ客席がびっしり埋まる。さすが地元が生んだスター、ナンダロウくんだ。ほんと、若い女性の姿もたくさん見受けられたし。気持よく喋ることができた。
さすがに疲れ、それでも行く古本屋めぐり。打ち上げを男子だけでして、解散。ぼくはもう一泊。翌朝、米子を歩き回り、午後から水木先生のお膝元、境港を訪ねる。水木色一色の町だった。妖怪まんじゅう、鬼太郎のあやつり人形などを買う。境港へも行けてよかったなあ。
担当の編集者さんたちにはまことに申し訳ないが、仕事のことは頭からっぽにして、まんきつしてきました。
さあ、今週末は、山本善行の上京でてんやわんや。それにあれもこれも。また忙しくなります。
帰ってきたら、山のように郵便物(受贈書)がありました。すいません、紹介できなくて。