天文台から始めよう

いま、19日の朝6時半。ようやく「中央公論」の日本人論、書き終える。19枚ぐらい。これほど苦しんだ原稿はちょっと記憶にない。書いても書いても、自分の中でかちっと来るものがなく、途中で放り出して謝ってしまおうか、と思ったぐらいだ。途中、あるアイデアが浮かび、出来にはまったく自信がないが、なんとかまとめる。プロである以上、当然だが、3日で三カ月分ぐらい年をとった感じだ。
今週末、24日に池袋「古書往来座」で開かれる、ひと箱古本市の荷物を送る。光文社新書のゲラもえいやっ、と送る。月末までにまだ、20枚級の大物原稿が2本、通常の原稿が7本ある。「古書往来座」での古本市打ち上げを愉しみに、なんとか息をついでいこうと思う。工作舎の石原さん、岩下さんが来宅するので片づけた部屋が、また本や資料で床が見えなくなる。
昨夜夕食後、国立まで散歩。「ブ」で、高野文子るきさん』の単行本、吾妻ひでお『夜の魚』、それに学研「現代日本の文学」の『曾野綾子倉橋由美子河野多恵子』を買う。『夜の魚』以外はダブりで仕入れ用。『夜の魚』所収の「夜を歩く」は、『失踪日記』で書かれた失踪の日々を描いたもの。学研「現代日本の文学」のこの巻は、文学散歩のページを、まだ二十代の金井美恵子が書いているのが買いなのだ。
『書評家〈狐〉の読書』(文春新書)でその存在を知った、石田五郎『天文台日記』(中公文庫)を、ちびちびと寝酒をやるように読んでいるが、すばらしい。岡山の天文台で、観測を続ける日々のディテールを記録したものだが、天文学者という存在のピュアさにあこがれてしまう。正月も観測。息子がお重におせちを入れて父の元に運んでいる。ぼくも手伝うと言いながら、石田が観測を終えて、下へ降りると息子は眠りこんでいる。ちょっとそこのところ引きますよ。
 「頭上の雲はなかなか消えないので分光器のシャッターをしめ、階下の“深夜喫茶”へもどる。ここは熱風暖房で部屋をあたためているので防寒着をぬがないと汗をかく。昼間『手伝ってあげるよ』とはりきっていた十郎がソファの上でいびきをかいて眠っている。毛布をかけてやる。夜食の準備。干うどんをゆでて、卵をおとす。雲のおかげでゆっくりと食べることができる。大好きなバッハの『無伴奏チェロ組曲』のレコードをかける」
 庄野潤三小沼丹天文学者だったら、こういう生活を送るんだろうな、と思わせるような文章だ。これは元版のちくま少年図書館がどうしても欲しくなってきた。なお、ちくま文庫には石田の『星の歳時記』が収録されている。石田は、蟲文庫さんのお友達のお父さんの知り合い、だそうだ。「ちくま」の蟲文庫さんの原稿は、天文台から始めよう。