銭形平次の投げ銭は現代でいうなら100円玉か

教育誌コラム2本書く。「名セリフ」は、稲垣足穂の「神様に愛されたんやな」。竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂』の、竹信三恵子夫人のあとがきから「普通に考えればすごく不幸な人たちのはずなのに、その人たちが、裁判が進むうちに、どんどん自分の言葉で話せるようになり、きれいになっていく。人間は不思議だ」という著者の言葉をからめて書く。『ワンコイン』で一番おもしろかったのは、この「あとがき」と、内田樹高橋源一郎対談で、二人はそれぞれ私人の竹信とつきあいがあって、神格化、伝説化しているが、この本に収録された書評はどれも驚くほどつまらない。手元に残しておこうという気にならない。
もう一つは、銭形平次はなぜ銭を投げるか、について書く。数日がかりであれこれ調べて書いた。ちょうど「ブ」で、横倉辰次『与力・同心・目明しの生活』(雄山閣)という本を見つけ、平次の役職、目明かしの実態について書いてあっておもしろかった。講談社大衆文学館『銭形平次・青春篇』の新保博久解説を参考にしたり、小沢信男ほか『時代小説の愉しみ』を引っ張り出したり、ぼくとしては手間のかかったコラムになった。平次の投げたのは四文銭。かけそば十六文の時代、いまに換算して120円くらい。100円玉を投げていたと考えるといい。平次は投げっぱなしで拾わなかったが、ぼくならあとで拾うな。
夕方、娘を乗せてキューブで上々堂へ。売り上げ精算と、少し補充。売り上げは1万8000円くらいか。「ブ」で本をあれこれと、山崎まさよし『アトリエ』を買う。