宮地嘉六はいいぞ

今朝、除湿器を稼動、エアコンによる除湿も開始。ただ部屋にいてもTシャツが汗でぐっしょり濡れる。汗をかくのはいいことなのだが。
スタン・ゲッツライオネル・ハンプトンと組んだ、晴れた日の川沿いの土手を吹きすぎる春風のようなアルバムを聞く。
いつも月半ばに仕事が集中するが、今月はいまふりかえっても何も思い出せないほど、あれこれが襲いかかり、息苦しい日々となる。じっさい、呼吸ができなくなり、胸をどんどん叩いて、またパソコンに向うようなこともあった。
とは言いながら、ふてくされてベッドにもぐりこんだり、古本はけっこう買っているから、たいした忙しさではない。ただ、気持ちの余裕がなくなり、送られてきた郵便物に返事を書くのもおっくうになる。今日、二つ原稿を書いて、ようやく出口が見える、という感じだ。
昨日、秋から再び明大アカデミーで始まる古本講座のゲストに、古書現世向井透史くん、海月書林市川慎子さん、古本ライバル左腕の山本善行に直接要請し、Okをもらう。華やかに、にぎやかな古本講座になりそうだ。10月7日から毎週土曜日の10時30分から12時。全5回。関心が有る方は、明治大学事業課までお問い合わせください。正式名称は明治大学リバティ・アカデミー2006年後期、です。
大村彦次郎『文士のいる風景』ちくま文庫の短い紹介文を書いて、このおもしろさは保証するが、百人の文士を死を起点に描いたポルトレ集のなかで、おやと思ったのが宮地嘉六。大正期、プロレタリア文学の前史ともいうべき無産者文学の作家として活躍するが、その後忘れ去られる。戦後に中央公論社から『老残』という小説集が奇蹟のように出版された。この作家に興味を持つ。
しかしいま、おいそれとその作品を読むことができない。そういうとき便利なのが各種文学全集で、ちょうど砂川「ブ」に立寄ったところ、大量に筑摩の現代日本文学大系が出ていて、『葛西善蔵・嘉村磯多・相馬泰三・川崎長太郎木山捷平』の巻に宮地が入っていて、しかも「老残」が収録されている。あわてて買った。そして「老残」を読んだ。これがおもしろいの。
戦後、焼跡の東京、首相官邸の裏におんぼろ小屋を建てて住む男がいる。道におちている馬糞が芋に見える窮乏生活で、これは実際の宮地の生活そのまま。道で女性に判子屋の場所を聞かれ、どうしてもすぐ認印がいるというので、それならぼくが彫りましょうと男が判子を彫る。宮地は篆刻の趣味があるのだ。それがきっかけで即成の判子屋を開業する、という話。悲惨ともいうべき生活がなんとも軽みのある文章でつづられる。同じ巻に入った川崎長太郎木山捷平の同族を思わせる作品だ。
この筑摩の現日をなでさするように一日、手元に置く。日本近代文学大事典を読むと、宮地のすさまじい生涯が5段にわたって紹介されている。執筆担当は、森本修。あれ、立命館大学で講義を受けた先生だ。たしか有島武郎が専門だったはず。現日の月報で谷沢永一執筆の「研究案内」にもその名が出ている。現日収録の「放浪者富蔵」は、宮地が明治36年に東京から神戸まで、お金を持たずに15日かけて歩いた体験を描いたもの。これまた傑作。で、これを読んでいるとき、つけていたテレビ(NHk総合)で、サッカー選手が東海道五十三次を歩き通した番組が総集編で流れていた。なんだかその符合に気味が悪くなる。
「現日」では、牧野・犬養・足穂・中河・十一谷・今東光の巻も買う。これもいい巻だ。ちょうど足穂のことを書いた、萩原幸子『星の声』筑摩を読んだところだったので。『星の声』は足穂の横顔が覗けておもしろいが、著者の足穂への距離感がちょっと気味が悪い。ジェンダー論者には叱られそうだが、女性特有のじとっとした感じが肌にはりつき、途中飛ばし読みする。