高尾山、晴天なり

朝、8時少し前に起きてリビングへ上がったら、誰もいない。娘も家内も寝坊したのだ。あわてて娘にパンを食べさせる。家内が起きてきて、どうも目覚ましをかけ忘れたらしい。ほんとうはあわてなければいけないのに、娘はいつもと同じペースでぺちゃぺちゃ食べている。隣家の同じ学校に通う上級生がいつも迎えに来てくれるのだが、断わりを言って先に行ってもらう。
朝刊を取りに外へ出ると快晴。発作的に、高尾山行きを決め支度をする。9時に国立、9時30分には高尾へ。いなげやで弁当とチョコとワインの小瓶を買おうと思ったら、ワインの小瓶なし。シードルにする。10時前には、稲荷山コースに取りついて、上りはじめる。まだ雪がべったり地面を被っている。ものの10分も歩くと息が上がる。途中の休憩小屋まで30分弱、息もたえだえ。汗が恥ずかしいほど噴き出す。しかし、この肉体をいじめて、そのあとに来る爽快感がたまらない。一時間強で高尾の頂上へ。いつもは、頂上を避け、巻き道から小仏城山を目指すのだが、今日は高尾山頂どまり。汗を拭き、下着とシャツを替え、弁当を食べる。目の前にでーんと、ほぼ完璧なかたちの富士山がある。「松竹映画」とタイトルが出そうな富士山(あ、この表現うまいね。どこかでまた使おう)。富士を見ながら、いなげやで買った弁当を食べ、シードルを口に含む。これだけで来た甲斐はあった。月に一度は来たい山だ。
帰り、京王高尾山口から高尾へ。高尾で下車して、気になっていた、高幡不動から移転した「文雅堂書店」へ足を運ぶ。高尾駅南口、いなげや横を過ぎてすぐ。高尾名店街というビルのなかにある。小さいながら、手を抜かない品揃えが気持ちいい。町の古本屋としては優良ではないか。とくに文庫が安い。講談社文芸文庫が300円。志賀直哉『交遊録』を買う。永井龍男も4冊ほどあった。ほか、中公文庫の棚から、徳川夢声戦争日記の4を200円で。どれか一冊だけ欠けていたのだが、それがどの巻かわからない。ダブりでもよしとして買う。新書の棚から、樋口謹一、多田道太郎加藤秀俊山田稔という京大人文科学研究所グループによる『身辺の思想』講談社を200円で。昭和38年の刊。これは買物。
近くのドトールへ入って、コーヒーを飲みながら、買った本をぱらぱらと。ただし、注文の際、マニュアルどおりにいちいち聞いてくるのがうるさい。ブレンド、ホットと言えば、最近、たいていSで出てくるのだが、ここは、こちらでお召し上がりですが、サイズは、と続く。ここでちゅうちょして「エム」と答えると、店員が聞き漏らし「もう一度」とくる。ここでカッとくる。大、中、小なら聞き間違いようがない。エムとエスは最初の音が「エ」だから混乱が起きる。松梅竹もうまい分類で、これも聞き間違いが少ない。きどった分類で、しかもちゃんと聞いてないからこうなる。エスの場合は、かなり「ス」の音が強く響く。エムはどうしても口をつぐむから音が響かない。響かないときは「エム」と判断すればいいのだ。なんで、こんなことに腹が立つのだろう。自分でもおかしいが、飲んだコーヒーの不味いこと。本をぱらぱら読む余裕もなく、さっさとコーヒーを飲んで出てくる。
帰って、社説をまとめる仕事にとりかかるが、まったく興が乗らず逃げだしたくなる。石神井書林から注文の品が届く。これはありがたい。1000円均一のコーナーから2册注文したが、2冊とも当たり。
野添敦義『女生と犯罪』武侠社・昭和7年。布表紙、箱入りのナイス装丁。
奥野他見男『君と別れて松原行けば』昭和3年、長光社の他見男全集。
筑摩現代文学大系『葉山嘉樹』を引っぱりだして拾い読む。これは、葉山の単独で一冊になった珍しい全集。ほら、普通はプロレタリア文学で3人とか4人で収まるでしょう。今月、名古屋の古本講座で葉山のことを喋り、この一冊があること、担当のSさんに指摘され、家に帰ったら、ちゃんと買って持っていた。短編「一寸待て」は、あまり貧乏で親子心中をはかろうとするが、家財がらくたいっさいをくず屋に売ったら、けっこうな金になり、死ぬのを止めるという、まるっきり落語のような話。木山捷平にもつながる味あり。葉山の印象が変わる。
葉山は名古屋にゆかりがあり、彼を研究したのが、岐阜の女子高にいた浦西和彦さんだ。文芸部の雑誌に、その研究をこつこつと書き、谷沢永一に見い出され、高校教師から関西大学に引っ張られる。たしか『紙つぶて』に、その見い出すところが書かれてあったはず。そこで『紙つぶて』を読み返していると、由良君美『言語文化のフロンティア』の紹介があって、読みたくなり、これは創元社から出ていたが、のち講談社学術文庫に入り、それもまた品切。ああああ、そんなこと、あれこれやってる間にまた夜が来る。
今日、この日誌、読んだら、怒る編集者いると思うが、ごめんなさい。