だいじょうぶだよ、と頭をなでた

朝、TBS。武居俊樹赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』文藝春秋を紹介する。朝食会終り、神保町へ。12時三省堂前で、朝日新聞社論座」編集者Nさんと待ち合わせ。書店特集の原稿の打ち合わせ。「論座」の読書日記欄で、海野弘さんが『古本道場』を取り上げてくださったと聞く。うれしい。疲れると、声が出にくくなるのだが、このときもうまく喋れなくなる。ちゃんと明瞭に話がNさんに伝わってるか心配だ。
彷徨舎へ寄り、携帯電話で撮った「いとう」の写真が連載用に使えないか、試してもらう。しかし、ダメだった。小さすぎて。ひとつ賢くなる。どうしよう、イラストでいくか。
昨日から車中で大岡昇平『野火』、畠中さんから送ってもらった『猪谷六合雄のスタイル』を鞄から出して読んでいる。畠中さん、さんきゅう! あれこれ、飛びかかってきて、収拾がつかなくなってきている。ひとつひとつ片づけて行くしかないのだが。
夕方、家に戻ると、門の前で母とその息子、親子連れが傘をさして立っている。家に入ろうとするぼくに、母親のほうが「○○ちゃんの、お父さんですか」と聞く。そうだ、と答えると、いきなり謝り始めた。いっしょにいる帽子をかぶった小学生男子は、どうやら娘と同じ学校らしく、彼が、うちの娘にひどいことを言ったという。それを娘と同級生の、お兄ちゃんが聞いていて、母親に告げ口をした。「こいつが、○○ちゃんにひどいことを言った。○○ちゃん、家で泣いてるかもしれない」。それで、二人して謝りに来たのだ。事情はわかった。家に入るが娘はいない。「ほんとうに申し訳ないことをして」と母親、その隣りで男の子は泣きそうにしている。「だいじょうぶだよ。○○は家にいないから。今度、学校で会ったら、ごめんな、って言ってやっておくれ。わざわざ来てもらってありがとな。○○ちゃん、兄弟いないから、仲良くしてやってな」と、帽子を上から頭をなでながら言った。二人はそうして帰っていった。
子どもを持っていると、思いがけないことがあるものだ。ぼくは、娘の父親だから、もちろん娘のことも心配だが、母親にきつく叱られ、雨のなかを謝りに来させられた少年の気持ちも思ってしまう。心は張り裂けそうだったろう。このあと、すぐ妻が帰ってきて、「いま、○○さんが」と言いかけると、「ああ、いま道で会って話は聞いたの。私の顔見たら、かわいそうに、○○くん、走って逃げてった」という。そして娘がそのあと帰ってきて、さっそく「今日、学校で何かあった?」と聞くと、「ううん」と首をふって「何も」という。なんだ、ぜんぜん本人はこたえてないらしいや。こんなものだ。庄野潤三なら、この何倍もうまく書いて、小説にするのだが。
坪内祐三さん『古本的』毎日新聞社、とどく。「アミューズ」連載のとき、ぼくも、同誌で仕事をしていたので、よく読んでいた。それが一冊にまとまった。後半はミステリ雑誌に連載された原稿。疲れたときに読むと、ビシッときそうな本であります。
夕食後、BSで「大いなる遺産」を観る。と、いっても、古いのじゃなく、1998年制作のやつ。最初のほうの、海からデ・ニーロが出てきて、イーサン・ホークの子ども時代役の少年が、廃園の屋敷を訪れるところのほうが後半よりおもしろい。
今日は神保町で長いあいだ滞在しながら古本は買わず。帰り、国立「ブ」でちょいと買いました。新潮日本文学アルバム「武者小路実篤」、大江健三郎『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫福島泰樹『茫漠山日誌』洋々社は短歌集。装幀は間村俊一さんであることは、すぐわかった。なかに、間村俊一伝なる、福島さんが酒場で間村さんから聞いてつくった伝記的短歌が収められている。これは驚いた。
 揖保の糸たぐりておるにまたみだれ 異母姉弟の糸ならなくに
間村さんには、異母姉がいたようだ。