街頭テレビで力道山

今日、ネットで検索し注文した本が届く。めったにこのやり方は取らないので、届くと、へえちゃんと届くんだと感心してしまう。モルポワの詩集『エモンド』ふらんす堂。注文したのは、北九州市若松区の書肆アモルフ。えっ! なんだそうか。この春、北九州に取材旅行したとき、『ミス古書』を片手に立寄ったが閉まっていた店じゃないか。ちなみに野村さんも「いつも閉まっている」と書いている。ネット販売に移行したのか。とにかく、こんなふうに再会するとは思わなかった。
『エモンド』は、ふらんす堂の本らしく瀟洒な装幀。本文80ページほどの可愛い本だ。表題となった「エモンド」はこんな詩。最後の数行を引く
 多くの人がまだ眠っている。かれらのひたいの下に森が、池が、そして石がある……。
 空は驟雨の後でじぶんに青色の質問をかける。
 ――どこを通って死にたい?
 ――私の愛するものを通って。
さっそく郵便箱に届いたこの詩集を鞄に入れて、昼飯を食べに自転車で外出。『エモンド』にはおよそ似つかわしくない「はなまるうどん」で、これまた似つかわしくないちくわ天とタマネギかき揚げを入れたうどんを食べ、玉川上水沿いを走り「松栄堂書店」へ。地下のギャラリーで友川かずき展をやっている。あの「生きてるって言ってみろ!」の、フォーク歌手の友川かずき、だ。彼は絵も描いている。晩年の洲之内徹も取り上げている。絵は稚拙。独自な世界、と言えばそう言える。競輪が好きで、競輪をテーマにした絵がたくさんあった。「相談相手」というタイトルの絵は、犬。これには笑った。
近くの喫茶店「しんとん」でコーヒーを飲みながら『エモンド』を読む。客がお金を払って店を出る時、いちいち店番の女の子が「お気をつけて」と声をかけたのが印象的だ。
家に帰ると某誌から原稿のさいそく。しかし、半月以上前に送っている。そのあと、催促があったので、再度送っている。まるで、ぼくが怠けて、ほおっているみたいで不愉快。しかし、何度かめんどうなやりとりをして、やっと判明。ぼくの送ったメールの日付けが1904年とか、とんでもない年になっていたため、ずっと過去に、というか、当然ながら、メールの届いた順番の一番古いところに埋もれてしまっていたのだ。そう言えば、過去にそんなこと言われたこと、あったな。しかし、ほおったらかしておいた。しかし、このままでは困る。いやいやながらマニュアルを開き、なんとか設定しなおす。あああああ、いや!
携帯もメール送稿も、便利は便利だが、便利なために不便さも、増幅している。でえええい、とちゃぶ台をひっくり返したくなる。ぼくは昭和30年代ぐらいの文明でちょうどいいんだ。街頭テレビで力道山を応援するんだ。もう、ほおっておいてくれるか。
あちこちから郵便物届く。『雨にぬれても』の著者、上原隆さんからも、サンデー毎日で書評を書いたことの礼状が。律儀な方だ。上原さんはいちおう、立命館大学の先輩。ただし、ぼくは夜間。上原さんは、著者プロフィールに出身大学を書いていない。必要ないと思ってるのだろう。然り。それでも先輩は先輩だと、ひそかにシンパシーを感じている。少ないの、この業界に、立命館の人。
もとマガジンハウス編集者の武部一之さんから、地元、葉山の郷土誌が送られてくる。武部さんも書いている。ぼくの仕事を、ずっと、ちゃんと見ていてくれているようだ。うれしくなる。ほんと、うれしい。マガジンハウスでは「自由時間」で長い事お世話になり、その後、こうして糸をつないでいてくれるのは、石関さんと、武部さんくらいだ。ぼくは優秀なライターではなかった。それでも、10年も前のつきあいを、こうして、いまでもつなげていてくれること、ほんとうにありがたいと思う。ぼくはそれに何も応えていないわけだが。