5月3日、「スムース」メンバー有志による「岡崎武志還暦記念トーク&ライブ」を京都で開いてもらえることになりました。場所は、一昨年、林哲夫大兄の還暦記念会を開いた「徳正寺」。くわしくは、林さんのブログの告知を御覧下さい。
http://sumus2013.exblog.jp/27682573/
同様の記念会トークは、東京でも開かれる予定で、こちらには京都から山本善行が来てくれるはずです。5月はコクテイルで、詩集『風来坊ふたたび』出版記念の「トリオ・ザ・ポエムズ」ショーをコクテイルで開催します。かんじんな書く仕事がおろそかになりがちで、いかんなあと思いつつ(はい、わかってます)、楽しいことならなんでもやりたい、笑える場所ならどこへでも行く(井上陽水「青空ひとりきり」)。明日は西荻ブックマーク「山田太一を語る」が、ビリヤード山崎で午後5時から開かれます。ご予約していただけるとありがたい。まだ、間に合います。打ち上げもございます。
小玉武さんからいただいた『開高健』(筑摩書房)を読み始める。『ここが私の東京』の開高健を書くとき、けっこう調べたつもりだが、知らない話ばかりだ。ううん、とうなりながら読む。向井敏が、大阪高校時代の開高が、あざやかに鉄棒で大車輪をした、ということを書いて印象的な文章があるが、小玉は、別の証言(天王寺中学時代、同じ体操部にいた人)を掘り出してきて、「全くあり得ないこと」、つまり鉄棒が下手だったというのだ(ただし、娘道子も父・開高が大車輪をしてみせたという記述もある)。この資料の掘り出しと、文章の読込みにより、より深く開高の実相に迫っている。それにしても開高の享年は58か。
本日、BS12で放送された「泣いてたまるか/ああ軍歌」は山田太一脚本。なんと演出が今井正。兄を戦争で失い(母はそれを認められないでいる)、軍隊上がりの上司が、宴会で軍歌をみなで唱和させるのを一人拒む愚直な男を渥美清。かつて南方の戦地で、死に行く戦友の頼みで軍歌をうたった彼は、酒の席で軽々しく軍歌をうたえないのだ。そのため、とうとう上司を怒らせ、クビになる。母(賀原夏子)にそのことを告げ、叱るかと思えば、それでいいんだよと慰めるのだ。あれだけの戦争があったんだ。みんな忘れていくなかで、覚えていてやる人間が、おまえ一人ぐらいいないと。みたいなことを言う。つまり「男たちの旅路」の吉岡の原型がここに描かれている。