駒が勇めば花が散る

投票を済ませ、野川へ花見。石原軍団ともいうべきメンバーで。天気もよく、桜も満開。ベストの状態で、仲のいい知り合いが集まって、七輪に炭をおこし、肉などを焼いて食べる。そして酒。頭上には低い枝の桜がおおいかぶさっている。川では子どもたちが遊び、風が吹くと、花が流れるように散る。みなで地震のこと、原発のこと、日本の未来のこと、自分たちのこれからのこと、雑談ふうに話し合う。
今日、高円寺で反原発のデモがあり、北條くんとrengeちゃんが途中で席を立ち、出かけて行く。あとで来たノンちゃんに「北條くんたちはデモへ行ったよ」と告げたら、ぐーるどさんが「わあ、かっこいい」と言う。ほんと、なんだか安保闘争の頃の学生の会話みたいだ。「いちご白書をもう一度」がバックに流れる。
「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る」という俗謡があるが、宴の席で、芸者が三味線にあわせて、こう歌うと、新渡戸稲造が「日本にも、こんなに素晴らしい詩があるのか」と感動したと伝えられている。
帰り、古本の匂いをかぎたくなって、荻窪「ささま」へ。表で二冊、なかで一冊買う。筑摩の「日本の思想」シリーズを集めていこうかと思う。今日は『方丈記徒然草・一言芳談集』を買う。
良寛の三十代は放浪に費やされ、どこで何をしていたか、確たる資料は少ないそうだが、倉敷市玉島出身の国学者・近藤万丈の「寝覚の友」(なんと、いいタイトルだろう)に、良寛らしき乞食僧の姿をとどめた箇所がある。
「さて、この庵の内を見るに、ただ木仏の一つ立てると、窓のもとに小さき机(おしまずき) 据ゑ、その上に文二巻置きたる外は、何ひとつ蓄へ持てりとも見えず。この文、何の書にやと開き見れば、唐刻の『荘子』なり。そが中に、此の僧の作と覚しくて、古詩を草書にて書けるが挟まりてありしが、唐歌習はねば、その巧拙は知らざれども、その草書や、目を驚かすばかりなりき。因りて、笈の内なる扇二つと筆で賛を乞ひしに、言下に筆を染めぬ。ひとつは梅に鴬の絵、ひとつは富士の峰を描きしなりしが、今はその賛は忘れたれど、富士の絵の賛の末に、『かくいふものは誰ぞ、越州の僧了寛書す』とありしを覚えおりぬ」
この「僧了寛」が良寛栗田勇良寛の読み方』によれば、小さな破れ庵に住む僧は、坐禅もせず、念仏も唱えない。まったく口をきかないで、ただ微笑しているだけ。「なんと穏やかな狂人だろう」と思ったという。このエピソード、好きですねえ。
「寝覚の友」は検索すると『続日本随筆大成 2』に収録されている。