音羽御殿でこんなこと

okatake2010-06-02

家に戻ってから、長崎でお世話になった古本屋さんたちにお礼のハガキを書いて投函。毎日「あった、あった。」をあわてて書いた。小田晋『グリコ森永事件』について。
二カ月に一度の某紙のコラム、いつもぎりぎりまで何を書くか決まらなくて、締め切り日か直前に、苦し紛れの天啓のようにテーマがひらめく。たいてい準備していたいくつかのネタがあって、それをふくらませるのだが、今回もなんとか着地。
長崎のホテルで開いてもらった、有志交換会で落とした荷が宅急便で届いた。何を買ったか、自分でも楽しみ。古い雑誌フロクや、地図など、紙ものが多いな。本らしい本は、香川登枝緒の一冊。それから、野呂邦暢の兄上・納所さんからいただいた、野呂が上京の折りに撮っていた、古本屋の写真も中に入っていた。上京のたびに、飢えた狼のように東京の古本屋巡りをする喜びが写真から伝わってくる。これは野呂の遺品。大事にする。どこかで場を得て、みなさんにもお見せしたい。丸いホーローの50年代っぽい看板も買っていた(写真)。どうすんだい、こんなの。
原稿を書いていたら、鳩山首相の辞任のニュースが流れてきた。
「怪力乱心を語らず」ではないが、政治のことは書かないことにしているのだが、小林信彦が近著『森繁さんの長い影』でこんなことを書いていた。ラジオで鳩山さんが語っていたらしい。大正十三年竣工の洋館、通称「鳩山御殿」での思い出。
「祖父一郎のころは、巨人軍の忘年会は必ずこの〈御殿〉でおこなわれた。ベロベロに酔った選手たちがトイレを汚すのが邦夫少年はいやだった。そこで、彼はなんとなくドラゴンズファンになった(当時)というのだが、たった一人、邦夫少年のキャッチボールの相手をしてくれる選手がいた」
みなさん、わかります? この画面の下の方に答えを書いておきます。





























答え ジャイアンツ時代のジャイアント馬場