林哲夫さん、新国立

okatake2009-11-21

11月19日、高円寺コクテイル林哲夫さんを迎えてトークライブ。前回の閑散がウソだったかのように、たくさんお客さんが押し掛け、立ち見、なかに入れなくて帰る人までいた。これは林さんの吸引力だろう。ハマダ夫妻、青柳さんには申し訳ないことをした。
林さんには、長いつきあいながら、ついぞ聞くことがなかった少年時代、武蔵美大時代の話などを聞く。林さんは最初まんが少年で石森章太郎『マンガ家入門』を読み、そのあまりの巧さ、テクニックに漫画家をあきらめる。中学時代はバレーボール部に所属。高校が工芸高校に美大受験のコースができて、その一期生で入学。東京芸大とムサビを受けて、後者に受かり、上京する。ムサビの最寄り駅、鷹の台から大学への道は、畑と林が広がる田園風景で、せっかく東京へ来たのに、田舎だなあ、とまいったという。
入った油絵科には100名ぐらいいたそうだが、最初のガイダンスで、「このなかで将来画家になりたいもの」と教師に言われ、ハイと手を挙げたのが林さんただ1人だった。最初から画家になろうと思い、そのまま画家になったんだからすごい。
卒業後はアパートの管理人(そのとき由美子夫人とすで結婚していた)をしながら絵を描く。林さん曰く、「絵描きというのは、いかにファンを作るかというのが勝負のようなところがあって、その最初のファンが家内でした。かなり厳しいファンですが(笑)」とのこと。最初の個展で絵がよく売れて、その売り上げで一年間、フランスを中心に海外旅行へでかける。帰りの旅費も使い果たしたが、さいわい、向うで絵を描けば、買ってくれる人が決っていた。
「読む人」シリーズでは、手の表情について質問。ちょうど、有元利夫を読んでいて、とぼくが言うと、「有元は指を描かないでしょう」と、まさにぼくが言いたいことを林さんが言う。携帯電話の持ち方は一様だが、本を持つ手のすがたかたちはじつにさまざま、と我が意を得たり、という話になる。
いまは、ひまわりを描いている、というので冗談かと思ったが(あまりに林さんの絵のモチーフとほど遠い)、枯れたひまわりを描いているそうだ。それなら林さんだ。岩波文庫の絵がよく売れるという話など、画家の生活についていろいろ聞けて、ぼくとしては興味深かった。
12月のコクテイルライブは27日(日)と決まりました。よろしく、どうぞ。
20日朝、このところ、毎日BShiで、京都をテーマにしたドキュメントを再放送しているが、この日は杉本秀太郎の生家と、その生活について。杉本邸が京都市指定登録文化財になっていて、寛保年間の呉服店が蛤御紋の変で焼けて、江戸期に再建した。古い町家を維持するのは経済的にも大変で、杉本秀太郎は、どうにもいけなくなって「ぼく、死のうかな」と夫人に愚痴を言ったら、「そしたら、死によし」と言われたという。「そう言われたら死ねませんから」。四季折々の厳格な決まり事に則って、さまざまな行事作法、食事にいたるまで、260年の杉本家の決まり事を忠実に守る女性たちの姿が美しい。
すっかり見ほれ、あわてて杉本の『私の歳時記』をひっぱりだし読み出す。
サンデー終え、畠中さんにもらった招待券で、初めて六本木「新国立美術館」へ、ハプスブルグ家展を見にいく。平日なのに、すごい人出だなあ。
夜は「ブックジャパン」の塚本さんと、書評執筆者、ぼく、北條くん、堀さんとで神保町「加賀廣」で飲む。さくら通りにこんな店があったのか。狭い店だが、サラリーマンでいっぱい。おしくらまんじゅうをするようだ。ポテトサラダ、メンチカツ、もつ煮込みなど、なんでもないものがとてもおいしい。