堺利彦と名古屋モダニズム

夕べは家族で外食。「上々堂」の精算ができているというので、とりにいく。ついでに補充する。今月は少し低調で、48冊売って、取り分が1万9000円強。上々堂の玄関入ってすぐの陳列台の裏に、新聞記事の切り抜きがあれこれ貼ってあり、娘が「あ、長新太だ」と指差す。長新太の死亡記事。妻もそれ見て、死んだこと知らなかったらしく、二人でしばらくわあわあ言っている。「なあ、長さん、おもしろかったのになあ」と娘。トムズ・ボックスの土居さんが聞いたら喜ぶだろう。
今日はいちにち仕事。原稿を2本書いて、ほんとはもう1本書いておかないと明日が苦しいのだが。昨夜から、堺利彦全集を拾い読みし、あわてて関川夏央谷口ジロー『明治流星雨』、堺利彦『桜の国地震の国』(現代ユウモア全集)、『堺利彦伝』(中公文庫)、『新家庭論』(講談社学術文庫)、貝塚渋六の筆名で書いた『猫のあくび』などを引っ張りだしてくる。伊藤整日本文壇史16』や荒畑寒村平民社時代』も。にわかに日本社会主義運動の勉強だ。
原稿の一本は「名古屋モダニズム」について書く。馬場伸彦『周縁のモダニズム』と、彷書月刊「名古屋モダニズム」特集号を横に置いて。ノリタケの資料と、INAX『名古屋のモダニズム』がないのが、なんともはがゆい。後者はネット検索かけたが、どこにもなし。名古屋で探すしかないか。海野弘『リヨンの夜』という小説集の「ペーパー・シティを焼く』を再読。これが名古屋モダニズムを探検した小説なのだ。
阿瀧康くんから詩誌「ガーネット」届く。例によって古本日誌のところを読む。こういう詩誌は珍しい。