快晴。今年さいごのサンデー本えらび。終えて、同じフロアの北條くん(「エコノミスト」)、宮里くん(毎日出版部)を誘い、千代田図書館10F食堂で、お茶して話す。宮里くん、松本零士の復刊本にすぐ重版がかかり、いまなお、3本の復刊本を同時に抱えている。疲労の極にあるように見えた。すべて終わったら、3人で新年会しようと話す。2人に別れて、まだ3時半ぐらいで、これだけいい天気で、せっかく都心に出てきたのだから、東京さんぽをと思うが、どうにも気力が沸かず、帰る。歩くのにはいい日なのだが。もう少し元気を出したい。
司馬遼太郎の対談やエッセイを、あれこれ、ちびりちびり読んではラインを引いているのだが、萩原延壽との対談「日本人よ”侍”に還れ」に、司馬のこんな発言がある。侍には小さな躾が身についていた、という萩原の言葉を受け取り、「侍は雨が降っても走らない。そして道の真んなかを歩く。雨に濡れないように軒先を歩くのは、見ていて浅ましいものでしょう。曲がり角など、直角に曲がるそうですな。直角に曲がるのが侍というものなんです」。ここでハッとした。小山ゆうが少年サンデーに連載した「おれは直角」は、まさしくそういう少年の話で、小山は、ここを読んでヒントを得たのではないか。対談が「文藝春秋」1972年2、3月号。「おれは直角」の連載開始は1973年だ。こんなやりとりも。内村鑑三は侍精神とキリスト教精神とは直結すると思っていた、と萩原。だから、吉田松陰も黒船に乗り込んで、ぶじ渡米していたらキリスト教者になっていたかも。司馬は「いいクリスチャンになるんですね」と。じつにスリリングな妄想だ。