もうずいぶん前のこと。地下の照明は天井にあり、そのスイッチへは、荷物をのりこえていかねばならぬので、よくやるように、紐を吊るして、それを上げ下げして点灯していた。有る時、不自然な姿勢でそれを引っ張った時、体重がかかり「ガツン」と音がしてスィッチが壊れてしまった。まったく、どういうつもりだろう。それから、ソファ横の灯りと、ほかデスクとベッドの灯りをつけ、まるで間接照明みたいにして暮らしている。心は鎮まるが、行動意欲は欠如するため、部屋がひどいことになっている。CD、本、雑誌、紙、衣服が散乱し、それを片付ける気力もない。どうしてこうなってしまうのか。
牧野邸にこないだ泊まった扉野くんと話していて意見が一致したのだが、牧野さん家は、リビングに本棚が4本ぐらいあり、そこに、じつに整然と、はみださず、もうこれだけ、という蔵書がしっかり収まっている。毎回、およばれするたびに見るのだが、そのたび、「ああ、もうこれだけあれば、いいんじゃないかな。凝縮した蔵書だな」と思う。扉野くんも同じことを、向うから言って、そうだなあと同感したのだった。こっちは物書きだから、4本とはいかないが、たとえば本棚10本(棹)。そうならないものか。いや、残り人生を考えたら、そうしなければいけない。それでまかなう読書生活に切り替えていかねばならない。ぼくの、現在の、蔵書生活は、まったく自慢にならない体たらくであります。いや、本当です。