惚れ惚れする出来(山高登装幀)の、小沢書店『小沼丹作品集』全5巻のうち、3冊持っていたが、大量処分の時、手放した。先日、某所で第一巻を見つけ、このところ幻戯書房のおかげで、小沼熱再燃というところで買ったが、ずっと枕元において、少しずつ読んでいる。これが出たのは昭和54年で、定価は3800円。当時の物価は大卒公務員初任給が9万7500円、ラーメン290円、コーヒー300円。物価推移換算で、いまはその倍ぐらい、と考えたらいいか。書籍の値段はそれほど上がっていないから、少し低めに見積もって、それでも今の感覚だと6000円ぐらい。ううむ。
昨日、夜は散歩堂さんのご好意で券を譲ってもらって、三宅坂国立劇場でTBS落語研究会。それにあわせて動く。サンデーの原稿をアップして、リニューアルした「ささま書店」を覗く。棚がスリムになり、整然と並ぶ。通路も少し余裕ができた。入口手前に文芸書が移動。そのほか、配置も変わった。店内で2冊買う。サンデーへの移動は東西線で一本。しかし、新宿まで来て、総武線に乗り間違えたことに気づく。中野まで戻るか、いやいや、都営新宿線で九段下だと思い直し、えっちらおっちら都営新宿線へ。ところが、またしても九段下で降り損ない、神保町まで行ってしまう。あきらめて、神保町から歩く。「ボーッと生きてんじゃねえんだよ」とチコちゃんに叱られる
サンデーで本選びして、同じフロアで仕事している北條くんと言葉を交わす。こんな日が来るとは。ひと駅だが、九段下から半蔵門へ。この日の落語研究会は、柳亭市楽「真田小僧」、隅田川馬石「安兵衛狐」、三遊亭歌武蔵「禁酒番屋」、仲入り後に古今亭文菊「笠碁」、トリが上方から桂米團治「たちぎれ線香」。「たちぎれ」は、師匠で父である米朝師が練り上げた大ネタで、にぎやかで、人物の出入りも多く、最後にしんみりする話だ。文菊はそれを意識したと思うが、人物の少ない、地味な(何しろ馬生の得意ネタ)「笠碁」をぶつけた。江戸前の粋を、上方落語の前でやりきる、という気迫に満ちた、素晴らしい出来。談春、三三、一之輔など、次代の名人を担う逸材が多いクラスだが、描写力と眼技において、私はこの文菊を推す。余計なくすぐりを入れず、蕎麦粉100%で、腕だけで見せるというスタイル。米團治は、この名前になってから聞くのは初めて。身に備わった明るさ、若さ、色気がふんだんに出た、いい「たちぎれ」であったと思う。ただ、通路を挟んで斜め前(ちょうど、私が高座を見る視線にかぶさる)の男性客が、最初から「こんな上方落語、誰が聞くか」という反発心を全身にみなぎらせ、ずっとパンフレットを見たり、時計を触ったり、もじもじ体をくねらせたりで落ちつかない。もうちょっとで、後ろから蹴りを入れて「ちゃんと聞いたらんかい、ぼけなす」と言いそうになった。おかげで、米團治の印象は半分くらい。申しわけないことをした。しかし、はねてから出口へ向うまでに「いやあ、よかったねえ」という客の声を聞いてホッとする。小米朝時代から、吉朝に「相変わらず、下手ですなあ」などと言われながら(小米朝のあと高座に上がり、いきなりそう言うのだ)、精進し続けた若旦那の晴れ姿を見る思いであった。散歩堂さんに感謝。ああ、「じゅん散歩」高円寺編で、「ちんとんしゃん」の客として一瞬映ったのを見ましたよ。