中戸川吉二を読もう!

今朝、早く、うちに宿泊していた山本善行を駅まで送っていく。荻原邸に泊まった扉野くんと合流し、二人は京都へ帰っていく。駅までの車のなかで、娘を持つ父親の難しさを語る。娘というより子どもだ。善行の娘はいま中一。なにかと難しい時期。うちは小4だが、難しさのとっかかりにいる。しかし父親の悩みを持てるということは、ある意味で幸せなことではないか。甘いか。甘いかもしれない。
アン・サリーを聞きながら昨日のことをふりかえっておく。午後、善行と外出。国立「ブ」を陥れて、少しごそごぞっと買う。これはUBCの補充用。国立駅ホームで電車を待ちながら、しゃがんで、粘着力の強い「ブ」シールをはがしていると、善行に「そんなことしてると、誰かに見られてるで」と言われる。いそうだなあ、「こないだ、国立駅で岡崎さんがブの値段シールをはがしているところ、見ました。やっぱり慣れててうまいですねえ」って。
善行が講談社文芸文庫山内義雄『遠くにありて』を探しているというので、それなら、先日「音羽館」に行ったとき、大量に同文庫が入荷していて、たしかそのなかにあったはずだと思ったので、案内する。やっぱり、あった。ぼくは先日でかけたばかりだから、奥園くんにも声をかけず所在なさげに店内うろうろ。文庫棚に『古本でお散歩』(ちくま文庫)を見つけ、こっそりサインを入れておく。
次は「ささま」だ。ここでも少しだけごそごそ買う。そして昨日に続き、神保町へ。UBC2日目。ぼくの出品したコーナーはどうだろう。思ったほどには売れていない。「一箱古本市」の夢よ、もう一度、とはいかない。あれはやっぱり異常だったんだなあ。リコシェのアベちゃんはじめ、今日も何人か見知った人と挨拶。林哲夫さんも待機している。何度かトークショー等に来てくれた、Tさんの姿を発見。声をかけて、初めてあれこれ喋る。元k書店勤務で、いまは仕事を探している。本回りの仕事がしたい。古本屋さんもそのなかに含まれている、というので、さっそく周囲にいた古本屋さんに話をするが、みんな少し困ったふう。そうだろうなあ、急に言われてもな。しかし、こういうこと、一度アナウンスしておくと、どこでどう話が転がるかわからない。
昨日、UBCで買った本、クロークに預けてあったのを受け取る。ひと晩寝かせると、自分で買った本ながらどこか気分は新鮮だ。まずは岩波の「文学」を2冊。各200円。「特集/昭和初年代をよむ」「特集/トポス・大阪の文学力」と特集がおもしろそう。定価を見ると、1800円、1900円とある。ええっ、そんなに高いんだ。朝日新聞社編『続地方記者』は佐野装幀本で200円。林さんに見せると「これは持ってないなあ」。うしし……であります。『婦人公論芸術大学』は昭和25年の婦人公論付録で400円。小説の読み方を福田恒存、映画の見方を飯島正、歌舞伎の鑑賞法を戸板康二、バレエの観方を蘆原英了と豪華執筆陣。昭和15年『丸ノ内今と昔』は、丸の内界隈の歴史をまとめた写真、図版多しの一冊で1200円。これらはすべて「西秋書店」さんから。
夜はEDI主宰の「EDI叢書」完結記念の荒川洋治講演。会場は昨日に引き続き満杯。スムースメンバーも全員、後ろの関係者席で聞く。途中休憩をはさみ2時間。山本善行は、途中休憩の時間に抜け出し、帰省するつもりで支度をしていたのだが、あまりに白熱した講演に、「やっぱり全部聞いていくわ、今晩も泊めてくれ」という。それほど素晴らしい講演だった。火を噴くような迫力と、「文学はじつは実学だ」という主張の強さ、アジテーションにうたれる。かつて、荒川さんが教室をもっていた横浜の朝カルに(妻が生徒だった)、ぼくはよくもぐりこんで聞いていた。あの時間を思いだす。今日、この会場に来ていた全員が、例えばEDI叢書に入った中戸川吉二を読みたくなったのではないか。ぼくもさっそく、寝床で少し読む。
最後、荒川さんの6年ぶりの新詩集『心理』(みすず書房)にサインしてもらう。荒川さんと親しくさせてもらいながら、サインをもらうのはこれがはじめてではないか。このあと、8階談話室でみなうちそろって歓談。詩人でエッセイストの蜂飼耳さんも来ていた。荒川スクールという意味で、蜂飼さんとは血縁関係にあるようなシンパシーを勝手に抱いていた。お互い、破顔しながら挨拶。
みんな、中戸川吉二を読もう。EDI叢書に入ってます。
ところで退屈男さんのいう、横の注目なんとかをはずしたほうが、ってのはどういう意味なのか、よくわからんのですが、どういうことを指してるんですか。